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紀の川水系と有田川水系の分水界を地図にえがく

公開日: 2023年12月8日

マップ概観

奈良県と和歌山県を流れる紀の川とその水系、国土交通省 によると幹川の流路延長は 136 km、流域面積は 1,750 km² とのこと。
その南隣の二級河川である有田川は、和歌山県 によると幹川の流路延長は 94 km、流域面積は 468 km² とのこと。
分水界をざっくりトレースした

中央構造線の北側が和泉層群、南側は有田川構造線までが三波川帯、そして秩父帯を挟んで日高川層群とのこと。
有田川の源流、高野山の山頂緩斜面は準平原遺物らしい。西端は風隙のような地形になり、転軸山の南西は谷中分水界になっている。比叡山や七面山などにしても、高いところにある理由や有難みは何なのだろう (宗教は分からない)。
真国川の源流域、かつらぎ町天野の盆地の形状が目立つ。地図で見るだけでも桃源郷の趣き。真国川中流域は穿入蛇行が連続。

伊都郡高野町は紀の川水系と有田川水系に分かれるが、明治22年の町村制施行に際し14の村からできたとのこと。富貴村を編入したのが昭和33年、この旧富貴村にも丹生川と東ノ川を分かつ谷中分水界がある。
分水の線を行政界とする観念は薄かったのか、それとも弘法大師の影響力なのか。

1953 (昭和28) 年6月に梅雨前線によって北部九州で豪雨災害があったが、翌7月に和歌山でも豪雨の害を被り、北寺の崩壊では90名以上の死者が出た。金剛寺の崩壊は 500 万 m³ で戦後最大級とのこと。だが、かつらぎ町は現在までのところ国土地理院へ自然災害伝承碑の情報を提供していないようだ。かつらぎ町は南北に細いが、南側の有田川流域は旧花園村。
この豪雨災害については「昭和28年(1953)の日高川町彌谷災害を歩く」(井上公夫, いさぼうネット) に詳しい。

紀の川は奈良県内の呼び名が吉野川だが、下渕頭首工から吉野川分水路が設けられ、分水界を越え水に乏しい大和川水系の奈良盆地へ送られている (東部幹線水路は大和郡山市まで、西部幹線水路は香芝市まで)。その概略は近畿農政局の「吉野川・紀ノ川分水の歴史」など読めばわかる。

紀の川流域には江戸時代からの古い灌漑用アースダムがたくさんある。だが治水や防災を目的とする近代的なダムは奈良県川上村の大滝ダムくらいしかない。治水や制水は容易でないと思う。
なお、この大滝ダムの試験湛水中だった2003年に起きた地すべりによって白屋集落は全37世帯が移転を余儀なくされた。旧村民らが起こした訴訟で国は全面敗訴した。吉野川上流域には地すべり地形が少なくない。

参謀本部昭和7年測図2万5千図「岩湧山」Stanford Digital Repository から一部。東西に五条谷断層、右下に鉱泉記号と小さいトンネル

2万5千図 岩湧山から一部

紀伊見が転じて紀見か? 歴史ある高野街道だから紀見村に沓掛の地名があったのだな (今は橋本市柱本という地籍のようだ)。
小さいトンネルは明治期に穿たれた細川柱本隧道というらしい。また鉱泉記号のところ、かつて紀見温泉といってホテルもあったらしい。峠の北側も天見川に沿って温泉が点在する。なお国道371号の新紀見トンネルが事業中。紀見峠の標高は天野の盆地より低い。
柱本にある芋谷の棚田は2022年農林水産省選定「つなぐ棚田遺産」に、有田川流域でもあらぎ島など5か所が選ばれている。

関係ないが今年の有田みかん、甘くて美味い。

以下も参照を

上掲のような地図を作ることは難しくない (いずれ AI が代わりに作ってくれるようになるだろう)。
難しいのは、そこから何を読み取って何を理解するかといったアナログな思考プロセスだと思う。

余談

妻氏が持っているこの石 (スケールは昭和スタイル)

アメジスト?

南米パラグアイの路傍の石らしいんですけど、アメシストで合ってますかね?