丹波山村から大菩薩峠を経て上日川峠に至る道は、旧青梅街道にあたる古い道「丹波大菩薩道」というらしい。ニワタシバだとかフルコンバといった地名があるのは、その名残のようだ。現在は山梨県道508号「大菩薩峠線」が点線 (おおむね小菅大菩薩道) で描かれているが、旧青梅街道とは異なる。
旧道というのはノスタルジーをそそる

現在は国道411号が青梅街道とされ、次の明治43年測図昭和4年修正5万図「丹波」でもそうだが、柳沢峠を越えるルートは明治11年の開通。それ以前が大菩薩峠を越えていたとのこと。どこの街道も時代とともにルートが変わる
旧大菩薩峠 (賽ノ河原) の標高は約 1,933 m とのこと、甲州街道の笹子峠が標高 1,096 m だからずいぶん高く険しい。
大菩薩峠から柳沢峠への稜線は富士川水系と多摩川水系の分水嶺であり、北側は昔から東京都の水道水源林 (つまり都民にとって重要な水瓶である奥多摩湖にそそぐ。1901 (明治34) 年から東京が管理)。鶴峠は多摩川水系と相模川水系の分水嶺。
横浜市にとって山梨県道志村は重要な水源だが、これと同じく甲州市や丹波山村に降る雨は都民にとって重要という意味になる。そこに暮らす住民も心理的には東京へ傾斜しているはずだ。
なお柳沢峠の北側の一ノ瀬高橋はコトバンクによると「行政上の独立村ではなく萩原山入会10ヵ村の枝郷に置かれ、それが法的に確定したのは延宝二年 (1674) の山境論裁許状による」とある。鶴峠の南側の長作地区がなぜ小菅村なのかは分からない。
葛野川 (かずのがわ) 地下発電所は東京電力が建設した純揚水式発電所で、上部の上日川ダム (ロックフィル) と下部の葛野川ダム (重力式コンクリート) が対 (つい) になっている。有効落差は 714 m で世界最大とのこと、前者のダム湖 (大菩薩湖) は標高およそ 1,470 m、後者のダム湖 (松姫湖) は標高およそ 730 m で描画されている。ロックフィルのほうは至近が原石山なのだろう、掘削された地形がある。
都市圏の生活インフラは都市圏だけで自己完結しているわけではない...という重要な点を山梨県の地味な山奥に読み取ることができる。都市で便利な生活を享受できているのは見知らぬ地方のおかげ、という側面は広く一般に認識されていない気がする。
なおこの多摩川上流域には気象庁のアメダス観測所がない空白域となっている (せめて雨量観測所でもあれば。山梨県が丹波山や松姫峠下という雨量計を設置しているけれど)。
調べてみると私の居住地は東村山浄水場から配水されている。ほぼ多摩川の水だ。山梨北部に感謝しなければならない。
また鈴木隆介『建設技術者のための地形図読図入門』によれば、葛野川の南北を東西に延びる非対称山稜から「北に傾斜する地層が分布し、かつそれらの地層は中硬岩に属すると推論される」とある。地質図では海成層の砂岩や泥岩とされ、この西側はより支配的な花崗閃緑岩・トーナル岩と出る (甲府花崗岩体)。黒川金山については奈良文化研究所「全国文化財総覧」から黒川金山遺跡研究会の文書が読める。
このエリア、崩壊地形は少なく明治40 (1907) 年の大水害のほかは自然災害を聞かない印象がある。
中山介山が小説に書かなかったらマイナーな山域だったことだろうが、むかし文学と山岳は密に関連があった。
参考: 樵路巡遊
「日本の主要な分水嶺、主要河川の分水界を描くマップ」および Map of Japanese Dams (一般社団法人日本大ダム会議) も参照を。
雁ヶ腹摺山はむかし岩倉具視の500円札の裏面に描かれた富士山の撮影地として知られている。もっとも、若い方々は500円紙幣さえ知らないだろうが。日銀によると紙幣は1994年4月1日に発行停止となっており、また造幣局によると500円貨幣は1982年4月1日から発行が始まったようだ (ちっとも憶えてない)。
1989年に初めて 3 % の消費税が導入されたときのインパクトは強かった。財布の中に 5 円玉と 1 円玉があるという事態がイヤだった (私は今でもイヤで、小銭入れがカラになるとスッキリする)
以前も書いたが、ガルシア=マルケス (Gabriel García Márquez) の小説『百年の孤独』の一節
La lluvia que estremecia a Macondo duro cuatro años, once meses y dos días
4年11か月と2日にわたりマコンドに雨を降らせ続けた想像力に舌を巻くのだが、今月の関東に降り続く雨もシャレになんない。