イタリアのバイオントダム(Vajont、アーチ式コンクリートダム)で1963年10月、地すべりによる崩壊土砂が貯水池になだれ込み、ダムから溢れ出た土砂流が天端を破壊、下流の村で2000名以上の犠牲者が出た。
この惨禍の翌年に「ダム貯水池付近の地すべり」(谷口敏雄(当時建設省土木研究所))が『土木學會誌』49-8号(1964(昭和39)年8月)*に寄稿されている。
わが国ではアースダムの欠壊によって,大災害をひき起こした事例はある
この「事例」とは、愛知の入鹿池決壊(1868(明治元)年、死者774人)や、京都の大正池決壊(1953(昭和28)年の南山城水害)など土堰堤が毀れたケースを指すと思う。
実は近年わが国でも発電ダムや多目的ダムの貯水池内で,これに類似の現象があちこちで見られはじめている
として、例が挙げられている。
現在の岩手県奥州市にあった最古級のロックフィルだが、今は最大級ロックフィルの胆沢ダムに水没している(70年代写真で見ることができる)。【地図】
胆沢川の左岸が地すべり地帯で、この当時は滑動していたという。
基盤は下嵐江層の灰青色砂質凝灰岩,灰色ないし灰青色の細粒凝灰質砂岩および淡灰緑色角礫凝灰岩よりなり,この上を第四系に属する火山砕屑物が大体10~20mの厚さでおおっている。地すべりは主として,基盤とこの火山砕屑物の境界付近に存在する粘土質ローム層あるいは砂質粘土,浮石質粘土の中で発生している
2008年6月の岩手宮城内陸地震により、建設中だった胆沢ダムは損傷を受けたが、2013年11月に竣工した。
シームレス画像で見ると、この危険な左岸は法面が大規模に養生されている。
宮城県大崎市、江合川(荒雄川)。
この地帯の地質は第三紀中新世中期の蟹沢層で,岩石は下部は緑色凝灰岩,上部は黒色泥岩と白色凝灰岩の互層より成っている。ダム地点より2.5kmほど上流の半俵山を中心とする地域はこの蟹沢層を貫いて両輝石安山岩が迸出しており,半俵山の崖面によく発達した柱状節理を見せている......
ダムの完成後,地すべり現象が顕著になったのは,ダム地点から上流見手の原地区に至る2.5kmの間
この左岸は地すべり地形だらけだが、2007年にもダム下流(岩渕山南麓)で地すべりのため国道108号が全面通行止めになった。
右岸には花渕山バイパスが2015年11月に開通したけれども、左岸はまだまだリスクがあるのだろう。
埼玉県秩父市、荒川の上流。
秩父古生層に属し,岩石は珪質千枚岩,緑色片岩,絹雲母片岩,石墨片岩などからなっている......
3ヵ所あり......麻生地すべりはダムサイトの上流左岸斜面で,湛水後,地すべりが顕著になり,県道ぞいの民家にも被害が出はじめたので,家屋は移転された......
18日間で垂直移動量が1.52mになっている。また37年2月1日よりの水位低下で再び65cmの移動を示し,さらに7月1日から放流期のため水位低下が起こり,この際も1.40m移動している
水位低下のたびに垂直移動を起こしたため、鋼管パイルによる杭打工が行われ滑りを防いだという。
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愛媛県大洲市、肱川。湛水は1959(昭和34)年11月から。地質図に切り替えると、この地域は迷彩みたいに複雑。
おもな地すべり地域は大地地区,栗ノ木地区,坂石地区の三地域である......
秩父古生層に属し,岩石は頁岩が主体をなし,砂岩,砂質頁岩,珪岩,輝緑凝灰岩などが互層し,所によって石灰岩,千枚岩などが挟さまれている
湛水後1カ月ほどで地すべりが始まったといわれており、
大谷橋の右岸橋台もこれにつれて上部構をのせたまま対岸へ向かってすべり出し,約2ヵ月くらいで水平方向へ32cm移動を生じ,あわてて対岸(左岸)の支承のローラーヘッドを追加据付けるという騒ぎを起こした......
昭和38年6月中旬には県道延長約70mの範囲が高さ50mの斜面とともに貯水池にすべり落ち,交通を杜絶してしまった
緩慢な滑りも、それなりに怖い。
ダムがあろうとなかろうと各地で地すべりは発生するのだが、
ダムの貯水池内で発生する地すべりの原因について考えてみると,貯水面の昇降の作用が考えられる
水位の上昇局面で発生したのは鳴子ダムの半俵山地区、鹿野川ダムの大地地区。
不安定な斜面が水中に没して安息角が低減し崩壊を招き、地すべり斜面の脚部がさらわれると書いてある。年月を経るにつれ水没斜面は安定化する、また水位の上昇に伴い地下水位も上昇し、地すべりが誘発・助長されることは言うまでもない、とも。
水位の下降局面で発生したのは鳴子ダムの半俵山直下と、二瀬ダムの麻生地区。
物理の説明が入るので睡魔が手を招くのだが、要するに貯水の低下速度よりも地下水の低下速度が遅い(または残留する)と、安定が損なわれる可能性がある、とされている。
その後、上記の4ダムで大きな事故が起こったわけではない。しかし歴史の古いダムは営繕が大変だろうと思う。
当該論文は半世紀以上も前のものなので、先進の研究が進み工法も最先端のものとなっている現在とは事情がまったく異なるだろう。地すべりが起きそうな斜面はあらかじめ養生され施工されているし、知見も技術も格段に違うと思う。
2019年10月の台風19号で一挙に湛水した群馬の八ッ場ダム、いま試験湛水している福岡の小石原川ダムなどは、綿密な計算と準備の元に建設され、監視されているはずだ。
地震由来では、胆沢ダムが損傷を受けた2008年6月の岩手宮城内陸地震で、宮城県栗原市の荒砥沢ダムも危なかった。バイオントダムのように、上流の大規模な地すべりによってダム湖に津波が発生したものの、堤体を越えずに済んだ。
また2011(平成23)年3月11日の大地震で福島県須賀川市の藤沼ダム(灌漑用アースダム、1949年竣工)が決壊、死者7人、行方不明者1人の被害があった。
地盤の事故では、1927(昭和2)年に完成した長野県の小諸発電所第一調整池(バットレスダム)が、翌年に左岸側が決壊。7名の死傷者を出した(跡地は現在、南城公園)。浅間山の火山灰が堆積した台地であり、地中にはガマと呼ばれる地下水を多く含む塊が散在、このダムの直下にもガマがあったと考えられている、と Wikipedia には出ている。
豪雨のケースでは、北海道の幌内ダム(1939(昭和14)年竣工、高さ13mの重力式コンクリートダム)が、1941(昭和16)年6月6日に決壊、60人が死亡した記録がある。
さきに「ダムに依存しない治水」の方針を熊本県知事が転換し、球磨川水系の川辺川ダムを建設する方向で検討するとされた。
ダムが生命や財産を「奪った」という事実もあったが、一方で「守った」という事実も多くあったはずだ。
全国に3,000近くあるダムのうち、洪水調節を目的とするものは800以上ある。自然災害が多発する現在、ダムのありようは、慎重に、丁寧に検討されていくのだろうと思う。
*出典=土木学会
こちらも参照:「ダム一覧マップ」、「代表的な地すべり地形」、「建設中のダム一覧」