長野県の国道148号

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公開日:2020-12-29 更新日:2021-02-01

国道148号は、長野県大町市の大黒町交差点を起点とし、新潟県糸魚川市の横町交差点を終点とする。
1953(昭和28)年5月「二級国道148号」に、1965(昭和40)年4月には級区分が廃止され一般国道148号として指定。現在までにバイパス建設など多くの改良や線形変更が実施されている。
昔の「千国街道(千国古道)」いわゆる「塩の道」と、また姫川にも沿って並走する格好になる。姫川の源流は元々青木付近だが、現在の白馬さのさかスキー場付近の山塊崩落により(現)青木湖の水は南下し農具川へ注ぐようになったと言われる。
4年前に「明治時代の姫川周辺」として簡単に書いていたが、もう少し掘り下げてみる。

糸魚川静岡構造線の難所、小谷村

南小谷村、中土村、北小谷村が合併し小谷(おたり)村となったのが1958(昭和33)年。
自然災害が多い地域。小谷村では雪崩による死者数が1901年以降50人を数える*。また地すべり地形も多数。

稗田山は、明治44年(1911)8月8日に数日前の豪雨によって、巨大な稗田山崩れが発生し、崩壊土砂が姫川左支川の浦川を岩屑なだれとなって流下し、姫川との合流点付近で、天然ダムが形成されました......
下里瀬(くだりせ)集落の48戸中43戸まで徐々に湛水して行きました......**

姫川は河床が上昇。ほか主な災害は(多すぎて書ききれないので抜粋)、

  • 1714年、信濃北部地震で岩戸山の斜面崩壊、坪ノ沢と滝ノ平で死者30名
  • 1847年、善光寺地震で死者多数
  • 1939年、風張山が崩壊、姫川を閉塞
  • 1959年、伊勢湾台風により支川の松川で水害
  • 1964年、風吹岳の崩壊による土石流災害(1842年、1936年、1948年も)
  • 1967年、赤禿山(大所川)の崩壊
  • 1995年7月、集中豪雨により小谷村全域が未曽有の被害
  • 1996年12月、蒲原沢で土石流が発生し14名が死亡
  • 2014年11月、マグニチュード6.7の神城断層地震が発生

また1502年に発生した越後南西部地震により真那板山が大規模崩壊して葛葉峠が形成されたと考えられ**、また左岸には少なくとも3段の収斂交叉型の沖積錐が発達し、蒲原沢では長期的に土石流が多発していることを示すという***。POI 葛葉峠の位置には愛ノ下という集落があったという説もある。
また、浦川が姫川に合流する直下の POI 来馬集落は、背後に白馬乗鞍火山の火砕岩層も控え、繰り返し激甚災害に襲われている。

5万分の1地形図、陸地測量部明治44年測図「小瀧」と、参謀本部大正元年測図昭和6年修正「白馬嶽」それぞれ一部を被せる。記載されている「糸魚川街道」は、1883(明治16)年に長野県第5路線(大町から県境まで)として計画された国道148号の先祖にあたる。

第5路線糸魚川街道の実測はすでに1883年8月から行われており......開削工事は1885年5月に開始され,翌1886年に竣工した......険しい峠はないものの道幅が狭く,牛やぼっかが通るほかは中馬も通行できない難路であったが,幅員が3間の新道が完成したことで,車両が通じるようになった****

大糸線はまだ開通していない。情報が多いので、マップ左下のボタンで全画面表示したほうが見やすいと思う。

LeafletJS Map

国道148号(小谷村)の主な構造物:POI 栂池大橋POI 川上橋POI 親沢橋POI 親沢大橋POI 月岡橋POI 柳瀬橋POI 下里瀬TNPOI 中土TNPOI 姫川橋POI 平倉TNPOI 外沢TNPOI 小谷大橋POI 小谷橋POI 塩坂TNPOI 湯原TNPOI 国界橋

改良事業の例

第5路線と現国道が一致するのは、平岩から善光寺山付近の渓谷地帯くらいしかない。国道148号の主な改良事業は、

  • 1961年よりスノーシェッドの整備に着手
  • 1974年12月、新外沢トンネル(1,360m)竣工
  • 1982年9月、葛葉峠バイパス起工
  • 1990年11月、小谷道路(外沢トンネル北口から新潟県境まで)改良事業着手
  • 1993年7月、中土トンネル(1,228m)竣工
  • 1994年11月、平岩バイパス開通
  • 1996年7月、平倉トンネル(706m)竣工
  • 現在、雨中・月岡バイパスが事業中

風吹岳と稗田山から土砂を運ぶ浦川を避け、道は姫川右岸の外沢地区にあるが、1974年まで使われた旧第5路線の POI 遺構が残っているとのこと(危険なので訪問しないで下さい)。しかし外沢地区は、たびたび地すべりを起こしている。
2代目の国界橋は1995年7月11日の集中豪雨による土石流で落下。1998年に再建されるまで初代の橋が迂回路になった。
かつて国道だった親沢橋および姫川橋は、当時長野県の道路技師だった中島武によるRCローゼ桁で、今なお村道・県道として現役(土木学会選奨土木遺産に指定されている)。当の中島氏は「変形ローゼ桁に就て」という論説報告を『土木學會誌』第23巻第2号(昭和12年2月)に残しており、

架設費の低減を望むの餘り,短径間の鉄筋コンクリート桁橋を以て甘んじ,流水を妨ぐる事甚しくして災害の因をなして居るものも少くない。斯る折柄長径間の鉄筋コンクリート橋の實施が可能になる事は,地方財政より考ふるも將又國家經濟より見るもまことに好ましい事......

こちらから読むことができる。

山岳地帯の道路は、路面の高さを確保しようとすれば擁壁や橋梁などの構造物が増え費用が嵩む。かといって標高が低いと河川の攻撃に晒される恐れが高まる。
地形や地質を鑑みつつ災害リスクを低減しながら理想的なクロソイド曲線を描くのは、針に糸を通すような至難の業だろうという想像が素人でもできる。国内の幹線国道の中で、設計も施工もひときわ困難な地域であろうことは間違いないと思う。

なお鉄道の大糸線の難所、真那板山トンネル(3,113m、25‰片勾配)は1941(昭和16)年に完成している。

導坑専進工法を用ひた。即ち碿を下側へ搬出し,導坑貫通後疊築を上側より着手して工程を分離し諸作業を簡潔化し得た。又導坑及切擴,疊築工程を2段に遷移せしめた結果,労働力及冬期材料の不足を補填し得た......
兩坑口の地質比較的不良な個所は新墺地利式を用ひ......*****

私が初めて国道148号を大町から糸魚川まで往復したのは1987年、この小谷村区間の寂寥感と恐怖感は(250ccのバイクだったのでよけいに)覚えている。しかもほとんど旧道(現在の県道・村道)だったので車線は狭く、シェッド続きで暗く、路面はスパイクタイヤで傷んでおり、時間も要した。積雪期に蓮華温泉を目指すという無茶もやったし、栂池でスキーに興じたりもした(若く無知だったので、そこに暮らす方々の労苦に思慮が至ることはなかった)。
いま地域高規格道路として「松本糸魚川連絡道路」の検討が進んでいる。飯田~浜松間の青崩峠しかり、構造線の難所を克服するのは容易ではないと思うけれど、次の世代のころには経済性と快適性を担保された新たな道が出来るかもしれない。

また度々指摘しているが、国土地理院の地形図とはいえ隧道や暗渠の記載は決して正確ではない場合もある。削除されるべき破線などが残ってしまっているところもある。

参考・出典: