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大和川水系の分水界を描く

公開: 2023年06月06日
更新: 2023年06月06日

さきの台風2号で大和川の水位が上昇している状況を報じていた。
奈良県と大阪府にまたがる大和川は、上流部では初瀬 (はせ) 川と呼ばれるようだが、初瀬の集落に長谷寺があり、現在の近鉄大阪線が参宮急行電鐵と称していた時代には桜井駅から長谷機関鐵道も並走していたようだから、由緒あるのだろう。
幹川流路延長 68 km、流域面積は 1,070 km² とのこと (国土交通省 による)。東側と北側は淀川の、南側は吉野川 (紀の川) の流域。

POI  POI  POI  POI

奈良の水

先週の台風では和歌山もかなり降ったようだが、大阪府南部の河内長野市や千早赤阪村の山間部の降雨も大和川の水位を上げたのだろう。アメダス奈良 (No.64036, 海抜 102 m) の年間降水量平年値は 1365.1 mm と少ないが、6月2日の降水量は 150.0 mm と記録されている。同日のアメダス河内長野 (No.62111, 海抜 160 m) は 234.0 mm を記録している。

柏原市から下流は仁徳天皇の時代から排水を促す工事がおこなわれ、江戸時代まで付け替え工事を繰り返したらしい。
この平野部はトレースしない (北への旧河道が見えるので面倒くさい)。
奈良盆地内の安堵町と川西町の境界は付け替え前の河道のまま。60年代の画像がちょうど改修施工中の時期のようだ。

奈良の盆地は降水量が少ないうえ水源となるような高い山にも乏しいせいか、やたら溜め池が多い。堤高 15 m 以上の狭義のダムをマップに示したが、灌漑用や上水道用が多いものの規模は小さい。
平城京の弱点は水が少なかったことなのかもしれん、とか思った。

大阪狭山市の狭山池は日本最古という説がある。文化池と南今池は1603年の築造。奈良市の帝塚山に存在していた甚五郎池もまた1603年の竣工とのことで、この時期に誰か為政者が号令をかけたのだろうか。
徳川家康が大和国の主な寺社に朱印地を与えたのは1602年とのこと。

奈良市企業局 によると、まず大正時代に木津川市鹿背山に木津浄水場を設け、昭和の人口増大に対応して緑ヶ丘浄水場も設置、さらに淀川水系の須川ダムと布目ダムから水道用水を確保しているとのこと。また三重県名張市にある比奈知ダムからも水利権を一部確保しているそうだ。市民皆水道が達成されたのは2003 (平成15) 年と、つい最近のことだ。流域の外に依存せざるをえないのはごもっとも。
「つい最近」と書いたのは20年というスパンに対するオッサンの時間軸なので、許してください

建設コンサル土木技術者2年目の息子氏によると、下水道の設計は1パーミル未満の勾配もあってムズカシイのだそうだ (上水道と違い自然勾配に依るからと)。緩勾配の盆地の排水は想像するだけでもややこしい気がする。
なお息子氏は工学部の研究室でも水を扱っていたがオヤジはド素人である。
奈良時代は衛生観念も希薄だったろうから、疫病なども多かったことだろう (これは日本全国どこの都市でも同じ)。

地すべりによる亀ノ瀬隧道の崩壊

奈良の盆地は多数の中小河川が集中する求心状、その出口の狭窄部に亀の瀬。右岸にふたつ火山があったようで周辺は火成岩。

1931 (昭和6) 年11月から亀の瀬の右岸 (北側) で斜面に亀裂が発生、翌年の初めには関西本線の亀ノ瀬トンネル内部や付近の路盤が変形、2月に運行を中止し4月にはトンネルは崩壊。関西本線は左岸に迂回する切替工事を実施した。
昭和6年鉄道補入陸地測量部2万5千図 大和高田 Stanford Digital Repository から一部、これは「昭和七年二月二十五日印刷」と記してあるので、亀ノ瀬トンネルが潰れる寸前ということになるのだが

大和高田の一部

土木學會誌』第18巻第3号 (1932 (昭和7) 年3月) の彙報「大和川筋亀ノ瀬地辷の概況」(高田昭) によると

峠部落を中心とする約 26 ヘクタールの地域が略々土塊となりて南東大和川に向ひて徐々に滑動し,一方亀ノ瀬隧道を崩壊せしめたるのみならず,河幅を縮小し且河床及び對岸奈良縣北葛城郡王寺町字藤井地内の府縣道奈良大阪線の一部を隆起せしめて,河水位を約 4 m 嵩めるに至つた

この彙報に収録される次の図、隧道東側の線形が陸地測量部と違う。調べたら、地質調査所編『地質調査所報告』第114号 (東京地学協会、昭和7) によると初めは大阪鐡道によって穿たれた単線隧道で「東口ハ大和川ノ北岸川ノ上ニ開口セラレ」とあった (1892年竣工)。国鉄となって複線化したときトンネルも長くなったそうだ (1924年、つまり次の図が正しい)

土木學會誌から

次は『工事画報』第8巻第3号* (1932 (昭和7) 年) 収録「亀ノ瀬隧道の変状に就て」から西口の写真。右の小さい坑口が単線時代の、左が国鉄時代の坑口だ。これが地すべり資料室のそばに圧壊され埋もれているのだな

工事画報から

そして2008年に毀れていない部分が発見され、今は内部を見学できるらしい。土被りの厚い部分が無事だったのだろうか。
私は鉄分ゼロなので、いまひとつ知識に欠ける。

現在の峠地区、Google Maps 航空写真でざっと数えただけで滑落崖直下から末端まで30以上の集水井が見える。相当量の地下水を抜いているのだろう。また滑って大和川を閉塞したらタイヘンだし。
地すべりで鉄道がやられたのは飯山線の高場山も有名 (地すべりによる鉄道トンネルの崩壊 もどうぞ)。磐越西線の松野隧道もそうだ。
なお、自然を相手に情緒は関係ないですね。

ところで亀の瀬の少し下流、北北東へ鋭角に屈曲する攻撃部は護岸がタイヘンそうな気がするが、その地点の南西側にある川回しの跡のような地形は旧河道ないし氾濫原だったのではなかろうか。知らんけど。

上記の Polyline は 日本の主要な分水嶺分水界のマップ に書き込んである。
淀川の流域と分水界 も合わせてどうぞ。

* http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/08_03.html

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