関西圏は府県の仲が良いのか悪いのか、よそ者には分かりづらいところがある。
淀川の分水界をたどって流域を表してみた。
2府4県に及んで広大だが
分水界を越えるということは、一般に峠を越えるということになる。
峠を越えると、広がる光景が変わるだけではなく、文化圏や生活圏も変わる(盆地の人なら理解しやすい観念だと思う)。
峠を越えると言っても、谷中分水界のようにその壁が低いと心理的なカベも低いだろうし、峠が峻険であるほど生活文化の差異も大きいのではないかと思う。
近代の都市構造として、人流も物流もベクトルは下流へ河口へ傾倒すると考えるのが道理のような気がする。河川を遡ったところで、まず何もない。また過疎はおおむね上流部から始まるのではなかろうか。
山間部で分水界がそのまま行政界になることが圧倒的に多いのは、円満な線引きで妥当性があると思う。逆に平野部で河道が境界とされているケースが多いのは、諍いを妥結するのに適切だったのだろうとも想像している。
大和川水系の分水界を描く も合わせてどうぞ。
こうした分水嶺を境にした生活や文化の相違などについて研究がたくさんあるだろうと思うが、私はアカデミアの世界の人間ではないし、その世界に首を突っ込むつもりはさらさらない。