早月川 (はやつきがわ) は二級水系、幹川流路延長は (馬場島から) 約 27 km で流域面積は約 134 km²、延槻川 (はいつきがわ) という旧称もあったとのことで平均勾配 8.3 % の急流。
同じく二級水系の片貝川 (かたかいがわ) は幹川流路延長約 27 km、流域面積約 169 km² で平均勾配 8.5 % のこれも急流。
黒部川水系の西隣、これらの分水界をわかりやすくトレース
片貝川の下流は扇状地の段丘が明瞭だが、その少し上流は地すべり堆が消失し谷底幅が異常のようだ。
「片貝川水系河川整備計画」(富山県、平成15年、PDF) によると
かつては現在の流路よりかなり西方を流れていたが、嘉暦2年 (1326) の大洪水により片貝川の流路は大きく東遷し、独立した河川であった布施川の流路を片貝川が奪い、現在の流路が形成されたといわれている...
...河床勾配が急で洪水のエネルギーが大きいことから、河床の洗掘が著しく、洪水のたびに護岸の損傷が激しい
早月川は毎年6月ころまでは水量が豊富だがその後は激減するという。扇状地ゆえ地下浸透が甚だしいらしい。また急流ゆえコイの類は少なく冷水を好むイワナが河口域まで見られ、水温が上がる季節になるとアユが遡上するそうだ。漁業権は設定されていないとのこと。
登山の世界では剱岳へのアプローチとして早月尾根が有名。
早月川も頻繁に流路が変わり、河口の右岸魚津市と左岸滑川市の両方に「三ケ」地名があるのは洪水で分断されたため、との由。
早月発電所は用水路を管理する土地改良区が主体となって会社を設立し建設したもので、灌漑用水を利用する特殊なケースで小水力発電所の嚆矢らしい。
いずれの川も昭和時代まで水害が繰り返されたようで、それぞれ上流域は砂防堰堤が多い。
両河川とも石や礫の排出が多いのだろうが、海に陸棚が乏しく急激に水深が下がるから洲は発達しないのだろう。
海底湧水が多いのも扇状地の伏流水に拠るところが大きいのだろう。埋没林にも関係するのだろうか?
各々の扇状地に挟まれた角川が相対的に低地に見えるのがおもしろい。
次は参謀本部、明治44年測図昭和5年修正5万図「魚津」Stanford Digital Repository から
早月川の右岸山間部は廃村が多い。下流には霞堤がたくさん。扇状地へ供給する疏水も昔時から多い。
「加積」の名が多いが、もともと加積郷と呼ばれるいわゆる広域地名なのだそうだ。神明社と日枝社がとても多い。
新横浜とか新大阪とか「新」は全国的に接頭辞として用いられることが多いが、上記図郭中に天神野新、貝田新、大海寺新などなど接尾辞で用いられるのは北陸地方に特有の傾向だろうと思う (早月川流域には1600年代後半に続々できたようだ)。また「開発」という地名も北陸には散見されるが、これも歴史の新しい集落といったニュアンスなのだろう。
富山県の七大河川のうち一級河川の黒部川、常願寺川、神通川、庄川と小矢部川については分水界をトレースしていたが、二級水系の片貝川と早月川をやってなかったのでやった。水の豊かな地域というのは魅力と興味にあふれている。
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