岐阜県北部から富山県西部へ流れる庄川水系、国交省 によると幹川の流路延長は 115 km、流域面積は 1,189 km² とのこと。
分水界をざっくりトレースし主要ダムも示した。砺波平野の複合扇状地に出ると疏水だらけで小矢部川との分水界を認識するのは困難
岐阜県には牛首断層や跡津川断層などが東北東から西南西へ並列している。それらを受けるような格好で加須良断層や白川断層が北北西から南南東へ延びている (地図中の赤い線)。
中流で流域がくびれているあたり、奇特な地形がある。馬狩谷の南端にある風隙 (No.1) は、荒谷が庄川に奪われた跡だろうか。
鳩谷ダムの北西 (No.2) は断層鞍部か。その西の三方岩岳と野谷荘司山を結ぶ稜線東面の土砂供給が多いのだろう、白谷の形成した沖積錐が大きく東へ張り出し馬狩と大窪地区は天然の砂防ダムみたいな地形になっている。
色別標高図と傾斜量図をつけると、帰雲山の崩壊 (No.3) による対岸の保木脇の2段の堆積がよく分かる。
しかしこの流域、自然災害は相対的に少ないように思う。2017年1月に南砺市利賀村上百瀬で地すべりが起きたくらいしか記憶にない。
牛首という地名や自然地名は、東は十勝から西は五島列島まで日本各地にある。手取川の白峰も牛首。
牛首峠や牛首断層という名は牛首集落が源なのだろう。昭和39年から40年に集団移転し、今は廃村 (No.4)。
次は参謀本部5万図、明治43年測図昭和5年修正の白川村 Stanford Digital Repository から一部。牛首集落があったころ
高速道路やダムができたほかは、変わってない印象。
東海北陸自動車道は、ひるがの高原から白川郷ICまで東へ大きく半円を描くように遠回り、しかも日本の高速道路の最高地点である松ノ木峠 (1,085 m) を越えている。ふつうに考えると庄川に沿って直線的に建設すれば時間も勾配もコストも抑えられただろうに、どうやら中部縦貫道とのからみや政治的なチカラが働いたものらしい。
利賀ダム (国交省北陸地整) が建設中。本体建設第1期は令和5年から令和9年のもよう。全体の工期は令和13年度までの予定らしい。平常時最高貯水位は海抜 411 m、洪水時のサーチャージが 434.5 m という諸元。完成したら上流にある豆谷ダムは水没する。
なお旧利賀村は庄川水系 (利賀川) と神通川水系 (百瀬川) に二分されるという点でユニークだと思う。分水の山塊は非対称、前者は地すべり地形に集落が多く、後者のほうが谷底が広く高い。往来できるのは実質的に新楢尾トンネルだけのようだ。
御母衣ダムができる前。水没した集落がたくさん
国土地理院の地図空中写真閲覧サービスから1947年9月17日の USA-M484-93 をトリミングのうえキャプションをつけた。
もともと保木脇の集落は現在よりも 1 km あまり下流にあったようだが、その名の保木は歩危と同義だろうか。次のサイトの冒頭の写真、昔の白川郷を想像できる。いずれの歩危も河川蛇行の攻撃部
保木脇より以南、御母衣ダムに沈んだ尾神集落までが中切と呼ばれる地域だったようだ。地図からは読めない中切地域の独特の風習など、他と隔絶された豪雪地帯ゆえの文化があったことだろう (長沼応陽編『濃北の郷土と荘白川の山郷』岐阜日日新聞社、大正14、国立国会図書館デジタルコレクション を参考までに)。
以下も参照を
この分水界シリーズ、当初は分水の線をトレースするだけだったのだが、地図を読めば読むほどディープにエスカレートしてしまう (だが反省などしていない)