一昨年、日本水準原点の公開を見に行ったが、油壺験潮場は未だ見に行っていない。
海面の昇降(潮位)の計測、基準面の決定だけでなく地殻変動の監視、津波や高潮の検出など防災上も重要な施設だが、導水管を通じて建屋内の井戸に出入りする海面の昇降を計測するものだから、外観だけ見に行ってもしかたないといえば仕方ない。
土木学会選奨土木遺産に認定されている験潮場は、油壺のほかは宮崎の細島だけ。細島のほうが2年古く、こちらは登録有形文化財にも指定されている。
細島験潮場は現存する日本最古かつ現役の験潮場、1892(明治25)年に設置され、翌年に東郷町山陰(やまげ)の花崗岩を用いた石積みに改築。施工は富高町日知屋の石工とのこと(いかにも九州らしい)。
1894(明治27)年以来、監守を務めた桑野家が代々92年間(1986年まで)毎日朝夕2回人力により計測していたという。灯台守の「喜びも悲しみも幾歳月」は25年だが、こちらは4世代らしい。
細島港は、江戸時代には延岡藩を除く南九州各藩が参勤交代に利用しており、湾口に津口番所、港の奥に西口番所という二つの番所がありました。津口番所は外国船の漂着を監視するとともに、毎日港を出入りする船の検閲や漁船の調査をおこなうところであり、高さ一丈二尺の石台の常夜灯台が設置されていました。この津口番所の跡に験潮場が設置されたため、験潮場は地元で「ご番所」と呼ばれることもあります
(国土地理院 細島験潮場「登録有形文化財(建造物)」登録の答申について)
明治35年測図昭和7年要部修正、参謀本部「富高」Stanford Digital Repository を見ると、すでに締切堤など人の手が入っていることがわかる。現在の牧島山は元々単独の島だったのだろう、注記「畑浦」の西は水路で明確に離れ、さらにその西側は水田記号もなくブランクになっている。そして「撿潮塲」が渋い。
なお国土地理院が設置しているものが「験潮場」で、海上保安庁設置のものは「験潮所」、気象庁設置のものは「検潮所」と表記が区別されているとのこと(三歩あるいたら忘れそうだ)。
土木学会のアーカイブに「細島港修築工事誌」(内務省下関土木出張所、1940(昭和15)年)がある。
細島港は......日向灘に怒濤逆卷く荒天時と雖も絶對靜穩にして理想的の泊地を成し......水深極めて深く、數万噸の大船巨舶をも収容する事が出来、内港外港相俟つて稀に見る天惠的良港灣を形成し、九州東海岸に於ける屈指の商港として輝かしき存在を示して居る
という理由から、県は明治期よりたびたび改修工事を施工してきたとのことで、あのデ・レーケも関わっている。
上記工事誌は、当時の内務省直轄工事(昭和8年起工、7か年継続事業)の内容が記されている。現在の地蔵~八坂にかけての地域。
年代別に航空写真を見比べると、変遷がうかがえる。島嶼の使い方など、そこはかとなく横須賀に似ている。
シームレス画像で細島線の が遺っているのも見える。
2010年には国交省から重点港湾に指定され、2020年のコンテナ取扱量は 31,665 TEU とのこと。
熊本の三角旧港はさらに歴史が古いが、当然ながら港の造りは違う。
(日本郵船歴史博物館)の一帯で、日本郵船と三菱地所が、高さ約100メートルの複合オフィスビルを開発し2028年開業を予定、という報道があった。これは、国と横浜市が進めている新本牧ふ頭の完成をにらんだものだろう、という想像は易い。
港湾は、百年以上の年月が経った現代でも、重要性に変わりない。
以下も参照を: