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九州の五ヶ瀬川と耳川の水系

公開: 2022年02月21日, 更新: 2023年04月11日 by ちずぞう

明治35年測図昭和7年要部修正参謀本部5万図「椎葉村」Stanford Digital Repository から。
日本初の大規模アーチダムである上椎葉ダム(1955(昭和30)年竣工)が出来る前の深い渓谷。

椎葉村地図

五ヶ瀬川と耳川の分水界の線をざっくり引いた。水色はアメダス、黄色はダム、赤色は自然災害伝承碑。
五ヶ瀬川の源流は で幹川流路延長は 106 km、流域面積は 1,820 km²、大分県佐伯市の南東部と熊本県の阿蘇カルデラ南東側の裾を包含している。
耳川の源流は で延長は 102 km、流域面積は 881 km²、北九州の工業地帯を下支えしてきた発電の川。

地質図を見ると、尾鈴山から熊山を経て日向の細島に至る弧には、何らかの連続性があるのだろうか?
耳川の上流、上椎葉ダムのあたりは「大井川上流部に似て仏像構造線を挾んで古生層と中生層にまたがり、おもに砂岩・粘板岩の交互層からなる厚層」らしい*1。
また2005年台風14号の豪雨を契機に、中流の山須原・西郷・大内原の3ダム連携で通砂の準備を進めているとのこと。崩壊斜面から「流入した大量の土砂が水位を上昇させ、被害を拡大したと考えられる」ため*2。ダムの堆砂はバックウォーターで顕著に現れるということは私のような素人でも分かる。これへの対処ということ。
延岡の年間降水量平年値は 2,435.6 mm と多め。国交省 によると「全国平均より約 800 mm 程度多い多雨地域」とのこと。

同じく古い地形図「諸塚山」から日之影町の矢筈嶽と延岡市の比叡山。行縢山から連なる花崗岩の環状岩脈で名勝に指定される。その間のゴルジュを通る河川は綱ノ瀬川との表記になっており、道は聯路で現在は県道214号・上祝子綱の瀬線(かみほうりつなのせせん)。

比叡山と矢筈嶽の周辺地図

ところがなぜか現在の地理院タイルは「網の瀬川」となっている。これも誤記だと思う。つられてか、他の公機関のデータの中にも「あみのせ」が見られる。正しくは「つなのせ」のはずだ。
※国土地理院だって人の子だし、間違いはある。私だってアラ探ししているわけじゃないが、気づいてしまっただけ。

蒲江から延岡まで、五ヶ瀬川左支である小川の流域が海岸線に迫って広い。この傾向は、海を挟んだ四万十川も類似している。

佐伯から延岡に至る日豊本線(北線)、この分水界をどこで越えるかを考えたら、重岡駅北東の低い鞍部(第1大原トンネル)を通るルート設定はごもっとも、という感じがする。大分から豊後大野を経て旗返峠を越え延岡に至るルート案もあったようだが、大正時代では峠が高すぎたのだろう。
宗太郎が有名だけれど分水界ではないし、駅も谷間にあるに過ぎない。20パーミルもの勾配が連続する難区間が「宗太郎越え」と呼ばれることで、知名度が上がったのだろうと思う。
旧国鉄の日ノ影線(のち高千穂線)は2008年に廃止されたが、五ヶ瀬川に架かる第3五ヶ瀬川橋梁と綱ノ瀬橋梁は重要文化財および土木遺産として現存(※文化庁と土木学会は間違えていない)。五ヶ瀬川の上椎葉ダムと河口に近い畳堤、耳川に架かる美々津橋も土木遺産。耳川の塚原ダムは国の登録有形文化財。
なお15日に農林水産省が発表した「つなぐ棚田遺産」には、五ヶ瀬川の上流域から10件も選定されている。

大分と宮崎には、美しい自然や温泉、佳い郷土文化など魅力がたくさんあるのだが、福岡~熊本~鹿児島の西側ラインに比べ地味に映ってしまっているように思う。東九州自動車道の拡幅4車線化、九州中央自動車道の整備が早急に進めば良いが。
なお東九州道の佐伯~延岡間は鉄道と異なり沿岸部を通している。津波への不安解消という側面があるようで、蒲江丸市尾と葛原には有事の際に逃げられるよう緊急連絡路が用意してある。盛土などは相当の規模に見える(まるで防波堤のようだ)が、トンネル掘削で出た土砂も再利用したのだろう。

*1 渡辺和衛「宮崎県耳川上流地域の荒廃状況と上椎葉貯水池の堆砂」地質調査所月報(第10巻第12号)
*2 吉村、朝崎、角「河川の安全度を考慮した耳川水系におけるダム連携通砂方法の策定」土木学会論文集 Vol. 74(2018)

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エルニーニョとラニーニャ

「どっちがどっちか、すぐ忘れてしまいますね」(横浜市 54歳 男性)

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