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台湾の東岸にある酷道、旧台9線

公開日: 2021年5月28日

先月2日、花蓮県にある台湾鉄路管理局北廻線の清水隧道(Qingshui Tunnel)で列車の脱線事故があった。断崖が続く難所。
並走する道路、台9線(蘇花公路)は東岸の動脈。
昭和10(1935)年測図参謀本部5万図「グウクツ」Stanford Digital Repository を見ると、この戦前の古い地図では「花宜道路」の注記になっており、鉄道は、まだない。

Qingshui, Taiwan

清水山の標高は 2,407 m、水平距離 4 km ほどで海。日本の親不知や黄金道路とは比較にならないくらい険峻。

道路改良會の雑誌『道路の改良』第20巻4号(1938(昭和13)年)に、説苑「臺灣の大斷崖道路」(長岡隆一郎)がある。

此の道路は蘇澳から花蓮港に至る三十一里の斷崖を連絡する臨海道であつて、大正五年度から大正十三年に至る九個年を以て歩行道路としての開鑿を了へ、昭和二年度から昭和六年度に至る五個年を費して自動車の通行を可能ならしむる道路に改修したもの......
淸水大斷崖で下を覗くと少々恐ろしい。もつと正直に申せば眼がくらむような凄さである。それと同時によくも、こんな處に自動車道路を造りあげたものだとつくづく感服させられた

Google Maps でストリートビューをいくつか見ると、凄まじい断崖に廃道が遺っている。

ところで第20巻5号には「路政春秋」の冒頭に「縣道か嶮道か」と題して

石川縣下能登地方の道路は縣道か嶮道といはれておる、縣では之を征服すべく必生の力を注いで居る、改良工事が完成するの曉は嶮道變して本格的縣道となる次第であるから理想道路の實現に懸命である、他府縣でも嶮道征服にはドシドシ完成に向つて邁進してもらいたいものである

元々コトバとして存在していておかしくないが、この「険道」という揶揄は、戦前から既にあったという証し(ほぼ官製の雑誌であるにかかわらず)。
だが、これだけで石川県がこの俗語の発祥だとは断定できない。福井の南今庄あたりかも知れん。そもそも、この時代は日本全国あまねく嶮道=道路事情が悪かったわけなので。
1958(昭和33)年に阿川弘之が使ったという「酷道」という言葉も、もっと古くから使われていたのかも知れん。
マニアじゃないので、そこまで調べないけれども。

出典=土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス
当時の写真を「蘇澳花蓮港道改修工事に就て」(PDF)で見ることができる。