旅行の後編。
河津町の峰温泉にある花舞竹の庄は文化財なみの建築。
温泉分析書によると泉質はナトリウム塩化物温泉、低張性で弱アルカリ性 pH 8.4。源泉温度は 99.3 °C となっていた
ほとんど無色無臭透明、佳い湯をいただきました。
今回は訪れなかったが、伊豆半島の先端は石廊崎。私は長いこと「いしろうざき」と誤って読んでいた (どうして誰も突っ込んでくれなかったのだろう)。
明治19年測図大正15年修正の参謀本部5万図 (Stanford Digital Repository) 神子元島から一部
この古い地図では石室崎となっていて、ご丁寧にイローとカナが振ってあるから誤記ではないだろう。
今も石室神社にその名が残っているようだが、岩のムロがあったのだろうという想像は易い。当時の南崎村長津呂という地名は今はなく、南伊豆町石廊崎という地籍になっている。
全国各地でいろいろな経緯や理由により地名を変えることはざらにあるだろうが、みだりに変えて欲しくないなあ、と私は身勝手ながら思っている。
私は正しい高所恐怖症なので次の写真の吊り橋は渡らない。サスペンスドラマにも出演できない (お呼びでない)
大室山から流れ出した溶岩がつくった地形らしい
オーバーハングになっているということは、海食により崩れているのだろう。
まじまじと 見れば幾筋の ガリーかな (字余り)
このスコリア丘に上がるリフトに乗ったら、意外と勾配があった。
次はカメラを水平に構えて撮ったもの
ざっくり測る と山麓駅から山頂駅まで水平距離が約 273 m で垂直距離は約 138 m、約 27° だった。伊豆東部火山群のうち地理院地形図で赤い三角が付されているのは大室山だけ。iconic な扱い。
上にあがると、すぐ西に「大室山 標高 580 m」と掲げられた展望台があるのだけれども
北縁のこの地点は標高約 543 m だから「さぁお鉢をめぐりたまえ」という意味だと悟った
テクテクぐるりと南へ歩いて最高所の三等三角点、大室山
この説明書きは建設省だから20年以上も前の古いもの。現在は 580.02 m のはずだ (山が 38 cm 高くなったという意味ではなく。そもそも一般の我々が cm の単位までこだわる必要もなかろうが)。
火口の内側を見ると、ところどころ露岩がある。形状も外側ほど均整がとれておらず単純ではない
こういうのは、地図を読んでも航空写真を見ても分かりにくい。実地を観察して初めて気づく重要な領域なのだろうと思う。
「伊豆の大地の物語」(小山真人) によると
大室山の山頂には、直径250メートル、深さ40メートルほどのスリバチ状の火口が残されている。この火口内には、噴火の最終段階で溶岩がたまり、溶岩湖がつくられた
冷えた溶岩は間隙が多く透水性が高いのだろうか。どんな豪雨に遭っても水が溜まる気がしない。溜まるのかしら? 巨大な濾過機として地下へ伏流し、さらなる恵みを再分配しているのかなぁ?
西に、山容の異なる矢筈山が見えた。
矢筈の名を冠する山 は全国にたくさんあるが、溶岩ドームはここだけではないだろうか。標高約 600 m が遷急線なのかなぁ?
たしかに Lava dome はヤハズの形に似る。気がする。左奥が遠笠山、手前の盆地が元々堰止湖だった池か。曇天が残念だった。
2021年7月3日に災害が起きた逢初川の谷。そのとき「熱海市伊豆山の土石流災害」を書いたが、結局は人災だった
まだまだ工事は続きそう
きなくさいのはイヤですねぇ。
白糸川橋梁については、さきに「関東大震災のいしぶみと当時の出版物」でも触れた。
関東大震災で落ちた初代を後継するこの二世は旧熱海線鉄道施設群として丹那トンネルなどとともに土木遺産
橋梁の真下、白糸川の右岸に釈迦堂がある
なぜか国交省の人と勘違いされた不良中年 (55)
2日間で 310 km の運転、横浜から箱根と函南を抜け中伊豆に入るルートは渋滞に遭わず良かったので次回に生かす所存。
伊豆の名産といえば海鮮やワサビというのがステレオタイプだろうが、タケノコやシイタケも美味だと知ったのも収穫だった。