Japonyol » ブログ » 丹那断層、狩野川放水路から河津大滝まで

丹那断層、狩野川放水路から河津大滝まで

公開日: 2023年4月23日

火雷神社

まず函南町田代から。1930 (昭和5) 年11月26日の北伊豆地震で丹那断層はズレた。
掘削中だった丹那トンネルも左横ずれで 2 m あまり副坑がズレたという記録があり、そのため本坑も半径 4,000 m のSカーブで修正され縦断線形も設計変更されたとのこと。地図上でこのトンネルは直線に見えてしまうが。

火雷神社は、階段と鳥居の間が約 1.4 m ズレたとのこと。そのとき破壊された鳥居は有名だけれども

火雷神社

神社の上から断層を見下ろすと、階段の石も上段ほどズレて不揃いになっている。次の写真の右方向へ動いた

火雷神社の階段

創建当時からこんな階段だったとは考えにくい。震動により個々の石も動き全体の均整を失ったのだろうか。
私の親指先から小指先までの手尺は 23 cm なので、切り石は

階段の蹴上

蹴上 7 寸ほど

階段の踏面

踏面 9 寸くらいか。どこの山から切り出した石なのかは知る由もないが、神社仏閣の階段の造りは地域差が大きい気がする。

次は土木学会『工事画報』昭和6年2月号「伊豆地震のスナップ」から

工事画報から火雷神社の写真

断層公園

さらに乙越の断層公園。元は丸かった池の跡

断層公園のズレ

地下観察室は良いですねえ

断層公園の観察施設

このあと丹那牛乳を飲んだら社会科見学に訪れた児童の気分になった。

狩野川放水路

2017年8月に娘氏の運転で修善寺へ行ったのだが、そのとき訪れ損ねていた狩野川放水路。
国土交通省沼津河川国道事務所の 狩野川資料館 にてあらかじめ概要を見てから現場に

狩野川放水路ゲート

この取水地点のふだんの水位は 8.8 m くらいらしいが、沼津河川国道事務所 によると

あやめ橋付近にある古奈水位観測所の水位が 10.6 m 以上になると、固定堰を乗り越え、自然に水が放水路方面に流れる仕組みとなっています。
ゲート操作は、古奈水位観測所の水位が 10.6 m 以上で更に上昇するおそれがある時、開ける決まりになっています。 ゲート開閉に当っては、事前に地元自治体等、関係機関に連絡すると共に開放時はサイレンや警報車で周辺の人々にお知らせしてます

遊水地などで一般的な越流堤からスロープで滑り落ちる形で一挙に海抜 6 m くらいまで下がっていそうな感じ。放水路は全長が 2,980 m とのことなので河床勾配は平均 2 パーミル程度だろうが、資料館でいただいたパンフレットに示された図だと長岡トンネルの区間が最も急に描かれていた

狩野川放水路パンフ

p.9 から、平面図との誤記はご愛敬。水理のロジックがあるのだろう。

* 追記、原典の p.645 にあった。複雑である。中央開水路に出てすぐ 352分の1 で勾配の向きが反転する箇所がある。潮位変化への対応なのか水理の影響なのか分からないが、設計の妙を感じる

狩野川放水路工事誌から

『狩野川放水路工事誌』中部地方建設局沼津工事事務所, 1967. 国立国会図書館デジタルコレクション

次の写真の奥に見えるのが放水路の長岡トンネル呑口

狩野川放水路の導水路

丹那断層とトンネルのこと」を書いたときのマップをリユースし、コードを追加した

浄蓮の滝

この滝について「伊豆の大地の物語」(小山真人) によると

滝をつくる岩盤には見事な柱状節理が観察でき、この滝が溶岩流によって作られたことがわかる。
この溶岩流は、滝の南東1キロメートルにある鉢窪山 (はちくぼやま)(標高674メートル) が1万7000年前に噴火したさいに流出したものである

「ミニだけどキレイな滝ねぇ」と妻氏は言った。彼女にとって滝とはすなわちイグアスなので、このリアクションは想定の範囲内

浄蓮の滝

南東の背後に、滝の産みの親である鉢窪山

鉢窪山

育ての親は石川さゆり (違)
わざわざ滝を見に行ったのは2011年8月の乗鞍、善五郎の滝以来のこと。

河津のループ橋

高架橋のループは半径 40 m と表示されているが

河津ループ半径

航空写真でざっくり 測ってみる と外径でも内径でもなくセンターラインを指しているようだ。登坂する車線が内側で、こちらは半径 35 m くらいに小さくなる。もし回転方向が逆なら (下りが内側なら) 危険だから、理にかなっている。
地理院画像はともかく、ほかのプロバイダでは高架と地上の標高差があるため航空画像が歪んで楕円に見えたりするが、現実は正円

河津ループ橋

保守用の梯子、実際に見上げるとオーバーハングしているように錯覚する (クラクラする)

河津ループの橋脚

ループの前後区間も長い高架で総称が七滝高架橋、全長 1064 m、高低差 45 m。えげつない土木構造物だなぁ。
ハンドル操作に神経を使うかな? と思っていたが、緩衝 (クロソイド曲線) がループの前後に入っているようで、快適に下り坂を降りることができた。すごい。

明治20年測図大正15年修正の陸地測量部5万図 (Stanford Digital Repository) 下田から一部、旧天城隧道から河津七滝まで

5万図下田から一部

当時の下田街道は現在の国道414号の線形と異なる。ループ橋はじめ改良の結果なのだろうが、昔は上河津村からすでに険しい天城越えが始まっていたのだろう。道も狭隘だったにちがいない。
伊豆縦貫自動車道はさきごろ河津七滝から河津逆川まで開通し、その先の下田までも事業中。月ケ瀬から茅野の区間もまた事業中。
空白になっている天城峠区間についても、今年1月末に静岡県が都市計画決定をおこなったと発表していた。計画図では現在よりも西側にトンネルを穿って大鍋からの接続を示唆しているようだが、果たしてどうなるだろう?
現実の問題として伊豆は車がないと移動できない半島なのだから、交通の Bottle Neck を少しでも解消するに越したことはないのだろうと思う。現状では緊急避難さえ難しいとも思う。
事業中の道路は こちらのマップ に書き込んである。

河津大滝

河津七滝 (ななだる) について、再び「伊豆の大地の物語」(小山) によると

……登り尾の南斜面 (標高700メートル付近) で、およそ2万5000年前に噴火が起きた。伊豆東部火山群「登り尾南」火山の誕生である。
急斜面で噴火が起きたため、火山体そのものの地形は不明瞭であるが、注目すべきはそこから流れ出た溶岩流である。この溶岩流は、登り尾の斜面を西南西に1.5キロメートルほど流れ下り、河津川に達した後、向きを川沿いに南東に転じ、谷間を埋めながらさらに2キロメートルほど流れた。この範囲の河津川の河床のあちこちに見られる滑らかな岩盤は、溶岩流の表面や内部が水流の浸食作用によって洗い出されたものである……

岩盤にできた段差にある七つの滝のいちばん下、大滝 (おおだる)

河津大滝

浄蓮の滝は下部に柱状節理があったが、こちらは上部にある。層序というか、峠の南北でこの相違はオモシロいと思った。

泊りは蓮台寺温泉にするか峰温泉にするか迷ったが (続く)