元々は東海道線だった現在の御殿場線は25‰の勾配があるため、輸送上のネックだった。熱海から丹那を抜け沼津に至る新ルートならば、最急勾配を10‰と大幅に緩和できるうえ10km以上の距離を短絡できる。
1918(大正7)年、丹那トンネル(7,804m)建設に着手。施工は鹿島。
丹那盆地は豊富な水源に恵まれ稲作や山葵の栽培が行われていたが、トンネル工事により水不足に陥り、酪農へ転換した農家もあった。
1930(昭和5)年11月26日午前4時過ぎマグニチュード7.3の北伊豆地震(震源=北緯35.08° 東経139.05° 深さ0kmの直下型)が発生。掘削中の丹那トンネルを左横ずれ断層が横切り、2mあまりズレた。
(1962(昭和37)年に建設が開始された はルートを北に取り、国府津松田断層に沿って巧妙に回避している)
について『建設技術者のための地形図読図入門』第4巻(鈴木隆介、古今書院)では
断層運動によって、西側に対して東側が相対的に沈下し、そのため田代盆地が断層角盆地として形成された......
左横ずれの累積変位量は約400m。
「北伊豆地震(1930年)による丹那トンネル内地震断層出現状況記録」『応用地質』第39巻第6号(櫻井孝、1999)から
地震断層の左ずれに伴う丹那トンネルの平面線形の変更は、東西両坑口に近い被害のなかった本覆工部分の直線を生かし、断層を挟んだ本線未施工部分に半径4,000mのSカーブを入れて修正している。また、東口側が相対的に隆起したのに合わせて未施工部分の勾配変更も行っている
丹那トンネル貫通は1933(昭和8)年6月。工事に伴う殉職者67名。水抜き坑やセメント注入の技術は、後に施工された各地の長大トンネルでも用いられた。
新幹線の「新丹那トンネル」(7,959m、1964(昭和39)年開通)は、ほんの少し北側を並走(熱海口は間組、函南口は鹿島が施工)。久野久教授の功績大。
丹那断層は活動周期が約700年~とされる。
以上、土木を専攻している息子の参考になるかもしれないので簡単にメモした。
2023.4、火雷神社や断層公園を訪問: 丹那断層、狩野川放水路から河津大滝まで