市立大町山岳博物館 の広報誌『山と博物館』第68巻第2号に、さんぱく研究最前線「大町の冬は暖かくなっているのでしょうか」という記事 (鈴木啓助) があった。日本の気温の経年変化について、とても分かりやい説明がされていた。
長期的な温暖化傾向の議論と数十年単位の気温変化の議論は区別する必要があります
昔より夏は暑くなった、冬は昔のほうが寒かった、という気がしていたが
100年スケールでは、冬の気温は上昇傾向にありますが、ここ 35年間ではほとんど変化していないことがわかります。
気候変動を考える際には、その時間スケールに留意することが必要になります
個人レベルの皮膚感覚には、記憶のバイアスや加齢による感度の変化もあるかもしれない。
以下に気温と降水量偏差の指定地点を覚え書き
気象庁|よくある質問 から。
Q: 日本の年平均気温偏差を求める際に用いられる15地点とはどこですか? また、どのような基準で選ばれたのですか?
A: 15地点は網走、根室、寿都、山形、石巻、伏木、飯田、銚子、境、浜田、彦根、宮崎、多度津、名瀬、石垣島です。これらの地点は、長期間にわたって観測を継続している気象観測所の中から、都市化による影響が比較的小さく、また、特定の地域に偏らないように選定されました
降水量については
Q: 日本の年降水量偏差を求める際に用いられる51地点とはどこですか? また、どのような基準で選ばれたのですか?
A: 51地点は旭川、網走、札幌、帯広、根室、寿都、秋田、宮古、山形、石巻、福島、伏木、長野、宇都宮、福井、高山、松本、前橋、熊谷、水戸、敦賀、岐阜、名古屋、飯田、甲府、津、浜松、東京、横浜、境、浜田、京都、彦根、下関、呉、神戸、大阪、和歌山、福岡、大分、長崎、熊本、鹿児島、宮崎、松山、多度津、高知、徳島、名瀬、石垣島、那覇です。降水量は地域による変動が大きいため、長期間にわたって観測を継続している51地点の気象観測所のデータを用いています
以上の地点はとくに重要ということか。
また、気象庁が「地域気象観測所で相対湿度の観測を順次開始します」と 報道発表した のが2021年2月26日、いわく「集中豪雨の予測能力の向上に必要な水蒸気監視能力を強化するため」とのことだったが、湿度観測を始めたアメダスは2023年6月現在で530地点を超えている。予定では全687地点となっているから、あと少し。
全国すべての観測点は こちら にある。気温の平年値 および 降水量の平年値 も参照を。
1953年に起きた西日本水害については「昭和28年の西日本水害と海底トンネル浸水」で触れたが、少し加筆。
国立国会図書館デジタルコレクション『昭和28年6月末の豪雨による北九州直轄5河川の水害報告書』(九州地方建設局企画部計画検査課, 1954) による記録 (べらぼうな降水量だが主な被害は26日に起きている)
上掲のマップ中に「1953年」とした遠賀川流域の POI は、同じく国会図書館デジタルコレクションから西日本水害調査研究委員会編『昭和28年西日本水害調査報告書』(土木学会西部支部, 1957) の記録に従い、70年前の今日6月26日に起きた災害のごく一部を抜粋した。
当時の時代背景を顧みないといけないが、『治水事業概要』(内務省土木局, 大正14) によると遠賀川流域について
本川ハ堤防薄弱ニシテ破堤或ハ漲溢ニ依ル洪水ノ害著シク殊ニ其ノ流域ハ有名ナル筑豊炭ノ産地ニシテ其ノ産額ハ実ニ我國出炭量ノ三分ノ二ニ及ヒ…明治三十九年度ヨリ継続事業トシテ洪水防禦工事ヲ施行スルニ至レリ
しかし石炭の採掘が進められるにつれて河床や堤防の沈下をきたし、昭和21年から再び建設省により改修が進められていたとのこと。
換言すれば、当時の日本の生命線であった石炭資源の産地だったからこそ政府が直轄事業として守ったともいえるだろうか。
のちに山陽新幹線が建設される際にも、遠賀川を渡る区間は鉱害沈下対策に難儀したことがうかがえる (土木学会誌 第57巻第11号 (1972年10月))。追って九州自動車道が建設されるにあたり新幹線に近接するかたちになったのも、おそらく同様に基礎の不安に依ったのが理由ではなかろうか。
おまけに宮田町誌編纂委員会編『宮田町誌』(上巻, 宮田町, 1978.4) には、嘉永3年 (1850年) の清水崩れ (きよみずくずれ) について
「清水龍抜にて拾三四軒之家居土底ニ相成、拾四人死失」(p.751)
「犬鳴川氾濫して本城、龍徳、鶴田各区共堤防決潰して濁流渦巻き家屋流失、人畜死傷あり、田畑は雪崩て積土数尺に達し全く荒廃して悲惨を極む」
…清水寺のすぐ北側に銀杏の老大樹が立っているが、この老樹こそが清水崩れの際山津波の土砂をもろに被って根元辺りが深く埋まり、それ以来成育はとまり老朽化したと語り伝えられる (p.752)
さらに嘉永6年 (1853) には干ばつで犬鳴川の上流と下流の農民の間で水をめぐり一触即発の事態が起きた、ともある。
やはり水は、今も昔も何処でも、命を養いもすれば脅かしもするのだなあ。
私は自然に恵まれた田舎で育ったので、その恩恵は分かる。しかし自然というのは同時に忌まわしく嫌なものでもある。感情としては愛憎半ばするというか、謝恩と嫌悪が混在するものだ。それは学識や理論などとは対極にある種類のもの。
都市で生まれ育ったであろう出自の人物が自然保護や環境保全という文言を振りかざすのを見ると、警戒してしまう。
名も知らぬ花だが、可憐だった。だが必要となれば私は切り取りもするし踏みつけもする。
自然とは愛でるものではなく、畏怖すべき対象だと思う。