初盆。私の故郷では「はつぼん」と呼ぶ。「あらぼん」とか「にいぼん」とは呼ばない。
しかし仕来たりとか作法といったものを私はまったく知らない。
第7波のおり長逗留は控えざるをえず、帰省先で私や息子氏がもしも発熱したら危険人物になってしまうので念のため解熱剤など持参。
小倉駅は熱風が漂っていた。国の重要文化財である若戸大橋などは熱膨張しないのかな? とか素人の要らぬ想像
次は明治31年測図1万分の1下關要塞近傍23号「小倉」Stanford Digital Repository から一部、日露戦争開戦の6年前。
門司口、若松口や筑前口などあるこの城下町が、当時は陸軍の拠点だったこともわかる
当時の小倉駅(現在の西小倉駅付近)から眺める響灘の景色はどんなものだったろう?
紫川の河畔や日明(ひあがり)の南がウェットな感じ。
筑豊の石炭と八幡の製鉄は日本の近代化に大きく寄与した。重要な工業都市だったからこそ1945年8月9日にB29が原爆を投下しに来たが、小倉は曇天で視程不良だったため目標は長崎に変更された。
なお1978年までは福岡市より北九州市のほうが人口は多かった(2020年は福岡161万、北九州94万となっている)。
新幹線が走る新関門トンネルは1975(昭和50)年3月開通で新しいが、在来線が走る関門鉄道トンネルは1942(昭和17)年に開通した日本初の海底トンネル。これは昭和28年の西日本水害のとき水没している。
『土木学会誌』第38巻第7号(1953(昭和28)年7月)の「ニュース」欄に西日本水害特報が載っている。
6月25日以来北九州を通り本邦南岸に梅雨前線が停頓していたところへ,黄海方面より北東に進んだ低気圧がこの前線上に停滞したため,北九州一帯は60数年ぶりといわれる豪雨となり,各地に被害が頻発し,各所で線路は浸水した。とくに遠賀川,筑後川,矢部川,白川,大分川など各所で破堤氾濫し,鉄道線路は各地で寸断された
29日6時までの国鉄調べの降水量は、
などと記されている。
2017年に河川の氾濫や土砂崩れが多発して40人が死亡し日田彦山線が不通になるなど甚大な被害が出た「平成29年7月九州北部豪雨」があったが、このときの72時間雨量は朝倉市で 616.0 mm、日田市で 447.0 mm などと記録されている。1953(昭和28)年の豪雨は、これを超えるレベルかつ広範だったということだろうか。また「60数年ぶり」と書かれているということは明治時代にも同様の豪雨があった(※)ということでもあり「天災は忘れられたる頃来る」という謂れの通りか。
門司地域は背後に山が迫り急勾配の小河川がたくさんある地形
28日10時頃より関門地区の豪雨は物凄く,時雨量 60 mm に達し,このため門司操車場構内は軌条面上の冠水 1 m に達し,関門トンネルは防衛も空しく,下り線は12時30分,上り線は同40分,ついに排水要員を引揚げた。トンネル内の浸水は中心部約 1.7 km が雨水充満し,上下線とも不通となつた
筑豊地域の雨をすべて集める遠賀川も中流域から下流域で大氾濫したと
Wikipedia によると、水没事故の経験を生かし門司の防水壁はさらに1メートル高くされ、トンネル入口には鉄製の防水扉が取りつけられ、さらにトンネル内のポンプも地上から操作ができる強力なものに取り替えられるなど対策が強化されたらしい。
この昭和28年西日本水害では、筑後川で建設中だった夜明ダムが破壊され、熊本市街域では白川が大規模氾濫するなどして死者・行方不明者は1,001名とのこと。
ふだんの福岡北部は自然災害が少ない。1968年製の私にはピンとこない。しかし再現性があることは確かだろうと思うし油断できない。
今から69年前のこの水害について老母は「もう知っとぅ人も少ないき...」と言っていた。
「関門海峡の軍事と土木構造物」および「遠賀川の流域と分水界」も参照を。
食うて行こうちゃヤワいかん(海軍で南方へ出征した祖父の至言。生きていくのは簡単じゃない、という意味)
※追記=『工學會誌』第8輯92巻(1889(明治22)年)に「筑後川ノ洪水」があった。
九州地方殊ニ福岡縣下大分縣下ハ本年ハ入梅前ヨリ降雨多ク殆ト六十余日間ニ渉リ......最高水位三十七尺餘ニテ達セシニ依リ人畜ハ勿論家屋ヲ流出シ......
94巻には「明治22年7月5日筑後川洪水ノ報告」があった。こちらはさらに詳しく
......下ノ關ニ於テハ毎四時間観測ニ係ル最大雨量ハ五十四九沸厘......
死者は福岡県で52、大分県で36、佐賀県で2とされ、明治18年6月の洪水よりも酷く被害総額も10倍以上である旨が書かれていた。
URLは、http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/kogakkaishi/08.html
また『土木学会誌』第6巻第2号 (1920年4月) に大津道雄「遠賀川改修工事概要」があり、明治38年 (1905) の洪水による鉄道や炭鉱の被害について詳らかにされている。