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山国川水系の分水界を地図にえがく

公開日: 2024年1月14日

下流で幹川が県境になっている一級河川、福岡県と大分県にまたがる山国川。
あわせて隣の二級水系、駅館川 (やっかんがわ) も示す。

トレースしたマップ

山国川の水系、国土交通省 によると幹川の流路延長は 56 km、流域面積は約 540 km² とのこと。
南西は筑後川流域と接する。南東は日出生 (ひじゅう) の溶岩台地にかかるのでトレースが厄介だった

耶馬溪の火砕流堆積物は、南方の猪牟田カルデラに由来するとのこと。猪牟田とは九重町、崩平山の北西にある地名 (図中C)。

八面山という特徴的な地形の山がある。いわゆる Mesa、卓状溶岩台地 (山)。どの方角からみてもほぼ同じ姿をしているところから名がついたらしい。その台上の大池は灌漑用、最初の池は8世紀の大宝年間に築かれたというが、1931 (昭和6) 年7月に堤防が決壊し土石流が発生して7名が犠牲になったという災害伝承碑が下流にある。大分には他にもメサがちらほら。

耶馬溪町山移に、ちと乱暴な河川争奪がある (争)。ひとえに玄武岩質安山岩といっても削剥の結果は均質でないのだろう。

耶馬溪にある自転車専用道路は、耶馬溪鐵道 (のちに大分交通耶馬溪線) の跡。
また豊前善光寺駅から院内の二日市まで日出生鉄道が存在していたようだ。
中津と日田を結ぶ高規格道路がじわじわ建設中。本耶馬溪井原の東西に暴露した火山岩脈を新しいトンネルが貫かれた (岩)。

* 現行の地理院地図は「∴耶馬溪」の注記が冗長に多すぎるきらいもある。

山国橋は竣工が1934 (昭和9) 年、RC造でゲルバー桁や二穴式の煉瓦積み橋脚の長大橋で土木遺産に選ばれている (橋)。
キリズシのトンネルは竣工が1870 (明治3) 年。人力で岩盤をノミで掘削して作られ、両端部の天井が通常のアーチ状ではなく平面で矩形断面となっていて、これも土木遺産 (TN)。
次は大日本帝国陸地測量部明治36年測図昭和2年修正5万図「宇佐」から一部、当時はキリズシのトンネルが記載されている

5万図、宇佐から一部

大分県は別府と由布院という2大巨頭が目立つが、このエリアにも開析の恩恵とおぼしき温泉がいろいろある。八坂川の流域になるが、杵築市にある 山香の温泉 も良いらしく、ここは明治19 (1886) 年に内務省衛生局が編纂した『日本鉱泉誌』3巻 p.132 に「神塩鉱泉」の名で載っている (以下原文ママ)

立石川ノ北岸水田ノ畔ヨリ涌出ス土人小池ヲ鑿チテ之ヲ潴シ潮水ト稱シ唯神ニ薦ムルノミ未タ澡浴服用ニ供スル者ナシ

神塩の名の由来はそういうことか。現在はボーリングにより鉄分と塩分が高い温泉が出ているようだ。あまのじゃくなので私は有名なところを避けるクセがあるけれども、行ってみたいなぁ。

大正時代の日出生台

陸地測量部大正12、15年測図2万5千図「日出生臺」から一部、Stanford Digital Repository

2万5千図、日出生臺から一部

監的というのは砲弾の着弾を観測していたもののようだ。弾痕山や幽霊山は現在のマップに記載がない。
仮想満州の原野として旧帝国陸軍が日出生台を接収したのが日露戦争前の1899 (明治32) 年。今なお陸上自衛隊の演習場で湯布院駐屯地の所管みたい。当然、一般人は立ち入りできない。
スタンフォードのライブラリは、のべつまくなしに日本の地図を収集したというより戦時中に日本の地理を研究していたものだろう。
色鉛筆で書き込んだ跡がまた当時の空気を遺している。

大分川、大野川と山国川をトレースしたら大分県の地勢をかなり理解しやすくなった。カギはやっぱり火山だった。
駅館川水系も抱き合わせにしたのは、2005年に合併で宇佐市となった安心院町 (あじむまち) と院内町を山国川水系と勘違いしていたため。本当はこの両町を把握したかったのだが、トレースを終えたら「あれっ?」となって加筆した。間抜けである。

ただ、こうして色別標高図を半透過で載せ等高線を追うと気づくものがいろいろあり、私自身の勉強になっている。国土数値情報の流域メッシュデータを使ってパソコンに任せたら早くてラクだろうが、それだと気づけるものも見落とすから、あえて手を動かしている。しかも分水界という概念では線引きすべきでない所もあると思うので (地図は雑学やらトリビアにとどまりがちばってんがくさ...)

以下も参照を

子どものとき安心院のアフリカンサファリに行った記憶がある。たおやかな風景と植生が福岡とまったく違っていたのを覚えている。