宮崎県の一級水系小丸川と二級河川一ッ瀬川の分水界をわかりやすくトレース
小丸川の水系、国土交通省 によると幹川の流路延長は 75 km、流域面積は約 474 km²。
一ッ瀬川の水系、宮崎県西都土木事務所 (PDF) によると幹川の流路延長は 91.3 km、流域面積は約 852 km²
北隣の耳川水系とともに九州電力の重要なエネルギー源の地域で九州の産業を下支えしている。
この両水系の分水界スレスレのところ、大瀬内ダムと石河内ダムはペアで揚水式の小丸川発電所を機能させている。かなすみダムは大瀬内ダムの西側鞍部に作られた副ダム。水の浸透流出を防ぐためアスファルトフェイシング施工がされているとのことで、地質図では泥岩のもよう。その北東に鹿遊 (かなすみ) という小字があるので、その名を取ったのだろう。
なお耳川水系には鹿野遊 (かなすび) という小字がある。鵜懐 (うのつくろ) もまた優雅な小字だ。
八重 (ハエ、バエ) や別府 (ビュウ) とか水流 (ツル、ヅル) のつく地名が多いのは宮崎と鹿児島ならでは。
米良に「かりこぼうず大橋」がある。この名を冠した事物は他にもあるが「かりこぼうず」とは昔から米良に語り継がれる精霊の名らしく「ホイホイ」と鳴くそうだ。心の綺麗な人しか見ることができないらしいので私はムリだ。
一ッ瀬川源流域の大河内周辺や小丸川右支の渡川上流などは1954年と1971年に土砂災害が起きている (清水収「大規模土砂災害の発生履歴と土砂移動規模の評価」砂防学会誌 Vol.61 No.6, March 2009)。2022年9月の台風14号による被害は耳川流域に多かった。
一ッ瀬川で洪水被害を受けやすいのは右支の三財川と三納川を含めた平野部とのことで、河道の付け替えや築堤の痕跡が多い。
西都市の鹿野田神社 (標高約 16 m) には、潮満の井戸というナトリウム塩化物強塩冷鉱泉が昔から湧き出しているそうだ。潮の干満に合わせ水位が上下するということなので分かりやすい。
大瀬内ダムの北西の分水界に多重稜線があり、その西斜面の尾八重に大きな地すべり地形がある。
矢筈岳は以前「失筈岳」と誤記されていたが、指摘したら国土地理院は修正してくれた。
Stanford Digital Repository から参謀本部明治35年測図昭和10年部分修正5万図「尾鈴山」
ダムは堤高が 130 m あるので、深い谷の 361 戸が水没している。左支の銀鏡 (しろみ) 川へ伸びる林用軌道は河床より数十メートル高い山腹を巻くようなルートをとっているが、一ッ瀬川幹川に沿う米良街道はおおむね谷底の川べりに道が拓いてある。
宮崎平野に出るまで沖積錐も谷底平野もほとんどないV字谷だから、この中流域は流下能力が高く災害を被った履歴もなかったのだろうか (水害を起こしやすい危険な河川では、たいてい道は高いところをトラバースするものだと思う)。
ただし明治に県道が通じる前の米良往還が右岸の尾根 (猿ノ囲~尾泊~礇石) に記載されていて、水準点がたくさん記されている。
ダム建設を機に東米良村は一ッ瀬川水系の区域が西都市に、小丸川水系の中之又地域が木城町に編入され消滅。
上記の古い地図、東米良村役場がスゴい所にある。
国会図書館オンラインで調べると東米良村役場は大正4年3月から尾八重観測所として気象観測も担っていたようで、東経131度19分、北緯32度15分、海抜概数540 m との資料があった。やはり尾根の上にあったのだろう。
1936 (昭和11) 年12月28日の官報に「東米良村役場位置ヲ大字尾八重字麻畑九番ノ一ニ變更」とあり、これは現在の西都市役所東米良支所がある瓢丹淵のことだと思う。
西米良村は南西部の尾股だけが大淀川の水系になる。林業が衰退して現在の尾股は無住のもよう。
米良の林業や人の暮らしについて、本田佳奈「西米良村の山で働く人々と狩りの記録」(PDF、神奈川大学21世紀COEプログラム、2008) がとても詳しい。山の生活史、民俗史としてもたいへん興味深い内容になっている。そこに生き暮らしてきた人の肉声の記録は貴重だと思う (ことし読んだ文献でいちばんおもしろかった)。
国道265号などは「酷道」などと揶揄されるけれど、そこに暮らし、そこを故郷とする人々に対して失礼なことではある。私もこれまで軽率にこの語を用いたことがあったが、今後は書かないようにしようと思う。
椎葉村 (しいばそん) はとても広いが、耳川と小丸川と一ッ瀬川の各水系にまたがる。江戸時代には天領となったり人吉藩の管理となったりしたようだが、日向灘までの物理的な遠さも理由か。椎葉姓が多いとのこと。
西米良村 は令和6年3月1日現在で525世帯、人口は1,018人。
椎葉村 は令和6年4月1日現在で990世帯、人口は2,203人。
佐土原駅から杉安駅まで一ッ瀬川の右岸に国鉄の妻線があった。1984年に廃止。
以下も参照を
余談。前の記事でスズメの悪口を書いたが、その翌日に一羽のスズメが私の足にぶつかってきた。なんなんだ。
80年代か90年代ころ「米国人は新聞を読まない」といった話を聞いたように憶えているが、国が違おうと高級紙や大衆紙だろうと、あの時代は情報を能動的に取りに行かないと取れない時代だったように思う。知識とは、それなりの層のものだったのだろう。
しかし今はスマホがあってネットから受動的に情報が入る。どんな層にも否応なしに届く。だからトランプみたいな人物がトップに就いたのだろうと思うし、陰謀論みたいなのも敷衍してしまうのだろう。
日本も含め世界中が学習期間というか過渡期なのかもしれないなあ、とも思う。自分の頭で考えず他人に考えてもらう時期がしばらく続くのではないか。自分で考えるのは訓練が要るから。