2万5千図「横濱西部」大正11年測図昭和6年修正、Stanford Digital Repository から。
横浜市電の路面電車が縦横に走っていたころ。図中の神中鉄道は、のちに相模鉄道へ合併される
:
浅間神社 (せんげんじんじゃ) は源頼朝が勧請したとされる。浅間下交差点は常に渋滞気味。
その少し北に第二中學校とあるのが現在の横浜翠嵐高校。岡野町に高女校とあるのが現在の県立横浜平沼高校。いずれも難関校。
保土ヶ谷駅から北西の方向に「ビール坂」がある。その由来が古い地図から分かる。
大原隧道と東隧道は昭和初期に建設された、水道と公道を併用するトンネル。いまなお現役で土木遺産。
次の写真は大原隧道

箱根駅伝で有名な権太坂、ランナーは国道1号を走るが実際は西側の旧東海道が本当の権太坂。
昔の柏尾川中流域は、谷 (やと) 地名ばかり。だが、かなり地名は変わってしまっている。フェリス女学院大学があるところは「貉谷」や「脊戸谷」といったワイルドな名だったようだが、戸塚区から泉区が分離したころ「緑園」と改名されたようだ。これも高度成長期のイメージ戦略だったのだろう。
畠山重忠の首塚などがある鶴ヶ峰、今の駅周辺が中心かと思っていたが、暴れ川だった帷子川の左岸が集落の中心だったのだな。
二俣川も農業地帯だったようだが現在は変貌しすぎて地形も認識しにくい。
八王子往還や中原街道は今なお交通量が多い。菅田町や羽沢町のあたりは古き良き雰囲気を残している。
以下も参照を。
振り返ると、地元なのに横浜のことにはあまり触れてない。
ゆうべ、テレビで「孤独のグルメ」神大と六角橋の回の再放送を見た。私はもう27年以上も横浜に住んでいるのだが、六角橋商店街を訪れたことがない。住んでいるから精通しているということは決してなくて、むしろ「灯台もと暗し」に陥りがちになるものだと思う。
なかんずく横浜市は広すぎる。
余談、10月7日付 Forbes から

その 日本語版 では
イスラエル・ガザ双方ですでに数百人が死亡、負傷者は数千人に上っている。
世界中が事態を把握しようとする中、Xは粗悪な情報の奔流と化している
もはや SNS は危険すぎる。イーロン・マスクの金儲けに与するだけだから官公庁や政治家などは活用しないほうがよいのでは?