昭和初期の鶴見川中流域の地図

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published: 2022-10-20, updated: 2022-10-20 by Campo Salado

横浜市神奈川区羽沢に硯松の石碑がある。松の木は枯れ消えていたが、久しぶりに前を通ったら幼木が植えられていた。

硯松、2022年10月19日撮影

海抜 54 m あまりの高台にある。ここで太田道灌は次のように詠んだという伝承がある

小机は まず手習いの はじめにて いろはにほへと ちりぢりになる

豊嶋氏の居城だった小机城を太田道灌が攻め落としたのは1478年。

1939年の地図

参謀本部1万図「小机」昭和14年測図、Stanford Digital Repository から。
昔は硯松から POI 小机城 を遠望できたのかどうか、分からない。

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正座しない今の時代に「小机」は理解されないかもしれない。15世紀の歴史はともかく、古い地図からは太古の鶴見川がどういう流路を辿っていたか、その幅が想像できるように思う。集落の存否には理由があったはずだ。

現在の都筑区川和台付近には猫谷(ねこやと)や寅ヶ谷(とらがやと)という字があったことがわかる。今はない。横浜北部はこうして地名が消えているところが少なくない。時代のトレンドもあったのだろうが「谷」から「台」に変えるというのはどうよ、という気もする。高度成長期の宅地造成の典型例だと思うが、切ったり盛ったりされる前は案外凹凸があるものだ。

左岸の、かつて水田地帯だったところはいま用途地域として「工業地域」ないし「準工業地域」の指定になっている。産業道路に沿って大型の商業施設もあり、私もよく行く。

もともと八王子から横浜港へ生糸を運搬することを目的として敷設された横浜線、当時はまだ鴨居駅はない。牧歌的な田園地帯だったのだろう(今なお牧歌的だが)。

硯松のあたりは住むのに良好な土地条件だと思うが「菅田・羽沢農業専用地区」に指定されキャベツ畑が広がる。これぞヨコハマ

羽沢のキャベツ畑

横浜市18区の人口 377 万人のうち、旧港北4区(現在の港北・都筑・青葉・緑)で 107 万人を数える。
中区と磯子区は過去の経緯から今も結びつきが強い。保土ヶ谷区と旭区などの関係もそうだ。しかし旧港北4区は希薄。私のような新住民が多いせいだろう。

2018年の記事「新横浜公園の遊水地と治水」も参照を。

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