開業50周年が近い山陽新幹線の岡山~博多間

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published: 2022-10-25, updated: 2022-11-09 by Campo Salado

今年は鉄道開業150年、とさかんに言われた。山陽新幹線は1972(昭和47)年3月15日に新大阪駅~岡山駅間が開業し、1975(昭和50)年3月10日に岡山駅から博多駅まで延伸し全線開業した。つまり2025年に50周年を迎える。

山陽新幹線小倉駅

新尾道駅と東広島駅は1988(昭和63)年に、厚狭駅が1999(平成11)年に、それぞれ途中駅として追加されたが、いずれも営業成績は低迷しているようだ。

POI 福岡トンネル POI 柳井原橋梁

建設にあたり東海道新幹線の丹那や山陽新幹線1期の六甲のような極端な難所はなかった模様。

土木学会誌から

『土木学会誌』第57巻第11号(1972年10月)に「山陽新幹線(岡山-博多間)建設工事の計画と現況」(斎藤・金原)がある。

岡山-博多間を2時間30分で結ぶ山陽新幹線の第2期工事は,昭和45年3月新関門,安芸の2大トンネルに着工以来,順調に進捗している......
トンネル区間が多く,全長の 55 % 218 km に達しているのがこの工事の大きな特徴である。
線路構造について,いままでの新幹線と大きく異なる点は,メンテナンスミニマムをねらい,いままでのバラスト軌道に代えて,最近国鉄で開発したスラブ軌道を標準軌道構造として,全本線軌道延長の約 70 % に採用したことである

東海道新幹線のトンネル割合は 13 % 69 km に過ぎないようだ。Wikipedia によれば東海道新幹線は従来どおりのバラスト軌道にした結果、保守に非常に手間がかかり、後年まで禍根を残したらしい。
線形については

新大阪-岡山間と同様に将来 260 km/h 運転が可能なように,標準最小半径 4000 m,最急勾配 15 ‰(ただし 10 km 間の平均勾配 12 ‰ 以下),縦曲線半径 15000 m とした

のち車両の進化によって300系以降の最高速度は 270 km/h を超えるようになり、いまは場所により 300 km/h を出す。海底トンネルは土被り確保のため 18 ‰ のようだ。昭和28年に水没したことがある在来線の海底トンネルは上下線の2本だが、新幹線は1本の中で対面走行になっている(意識したことはなかった)。

駅はすべて在来線に併置されているが、福山駅は用地がきわめて制限された場所のため3階建高架なのだそうだ

『土木学会誌』第57巻第11号(1972年10月)から

福山城の復元天守閣がよく見えるのは、近いだけでなく高いからか。

良好な地質が多くトンネル工事はおおむね順調だったらしいが

新欽明路,富田,新関門の各トンネルの一部区間では軟弱地質による大きな地圧のため,また福岡トンネルの東工区では高圧水を含んだ断層破砕帯群に遭遇して難工事となっている

「断層破砕帯群」とは西山断層のことだろう。産総研によると、おもに左横ずれの活断層らしい。
『応用地質』第38巻第5号(1997年)所収「トンネル掘削に伴う地下水問題」(大島洋志、PDF)によると、福岡トンネルについて

三郡変成帯中の厚さ 4~5 m の断層粘土の奥に発達した亀裂帯が大量・高圧の帯水層となっている部分があった。断層粘土の切羽で難渋しているうちに,徐々にその遮水層としての効果が失われ,毎分 23 m³ という突発湧水とともに切羽が大崩壊するという災害に見舞われてしまった

この遅延のため、のちにダムに沈んだ集落に立坑(犬鳴立坑、直径 6 m 深さ 118 m、1973年完成)を掘らざるを得なくなったとのこと。また同氏による「トンネルと地下水 -私が学んできたこと-」『地下水学会誌』第62巻第2号(2020)p.263(PDF)によると、「坑口から約 1 km 進んだ頃」切羽崩壊に見舞われたとある。また本坑の左右に水抜坑を設けたともあり、工事中は灌漑用水が枯れたりもしたらしいが、結果的に坑内から恒常的に出てくるトンネル湧水を逆に利用しているとのこと。
東坑口は実家から遠くないのだが、なんせ私が未就学児だった頃の話なのでまったく知らなかった。
なお1999年6月には福岡トンネル内壁のコンクリートが剥落し、走行中の新幹線の屋根に衝突する事故があった。

大きな河川がないので橋梁についてはすべて 500 m 以下とのこと。
岡山県倉敷市にある柳井原橋梁(延長 324 m)は柳井原貯水池(旧称は東西用水貯水池)に架かっている。
2018年7月の西日本豪雨により倉敷市真備町周辺で甚大な浸水被害が出たことを受け、小田川合流点付替え事業が一挙に進んでいる。柳井原貯水池を小田川として高梁川との合流点を下流に移すもの。明治期に柳井原を堰き止めて貯水池とし東高梁川を埋めたらしいのだが、この土木の歴史が奇妙に思える。この地域は少雨ゆえ利水と治水のバランスが難しいのだろうか?

大正14年修正参謀本部2万5千図「箭田」Stanford Digital Repository から一部。なんか特異で読み解きにくい。中洲村(この名前!)と船穂村の境界線も元々高梁川の流路なのだろうとは思うが。東西用水酒津樋門についての 土木学会の解説シート に簡略な説明はある。

大正期の倉敷市の地図

グーグルマップの航空写真 で見ると、新幹線柳井原橋梁の水中にある5本の橋脚を水流から防護するためだろうか、工事をしていることがうかがえる(単に修繕かもしれない)。
8月に新幹線に乗ったとき、私はここを見逃した。あらかじめ意識して構えていないと、新幹線はあっという間に通過してしまう。

参照=高梁川・小田川緊急治水対策河川事務所

あわせて「東海道新幹線の線形」、「山陽新幹線の六甲トンネル」の記事や「全国鉄道路線図」もどうぞ。

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