新東名高速道路 (E1A) の新秦野ICから新御殿場ICの間は2027年度開通予定で事業中。
写真1: 河内川橋梁は鹿島と大成のJV、神奈川県道76号の川西橋から撮影。Balanced Arch の名のとおりヤジロベエのかたち。酒匂川に合流する直前で尾根から河床への傾斜はけっこう厳しいように見える。上り 771 m、下り 692 m と巨大、左岸の県道の上にインクライン
1969年に全線開通した東名高速は原則として最大勾配が 5 %、曲線の最小半径 300 m で車線の幅は 3.6 m という仕様になっている。
いっぽう新東名は最大勾配が 2 %、最小半径が 3,000 m (区間により 3,500 m) で車線幅は 3.75 m。
縦断図はネット上に見当たらないが、地図を読むと御殿場市上小林の付近が海抜 530 m を超え新東名の最高地点となる。湯触トンネル西坑口からその最高地点まで Turf で距離を測ると 12.5 km、その間に標高を 230 m ほど上げなければならないから (単純計算で 1.84 %) 河内川橋梁も左岸から右岸へ登り勾配だと思う。県境の谷ヶ山トンネルも拝みではなく片勾配だろうか、開通したら実走して確かめたいところ。
橋といえば長さばかり注目されがちだが、力学や物理や勾配という点でも思慮しないと本質を見誤るのかもしれないと素直に思った。
山北町のこの界隈は橋梁だらけだが、河内川橋梁は最後に登場する首領のような貫禄がある。一見の価値アリ
写真2: 三保ダムを下流のダム広場から、左の5門の洪水吐は脇役で右の堰堤が主役。宮ヶ瀬ダムとならび神奈川県民にとって重要インフラのひとつ
写真3: 三保ダム堤頂。アーチ式や重力式と違ってロックフィルダムは私のような高所恐怖症の者に優しい。
上水道用水、発電と洪水調節を目的とし、堤高 95 m、堤頂長 587.7 m、堤体積 581 万 6,000 m³ で1978 (昭和53) 年完成とある
三保ダムができる前、もともとここには大正9年に建設された田ノ入ダムがあったらしい。ダム広場に至る道に松ヶ山隧道という戦前の古いトンネルもあった。
写真4: 箒杉。ここは初めて訪れた。国の天然記念物に指定されたのが昭和9年と古く、胸高周囲 12 m、樹高 45 m、樹齢は推定 2,000 年という巨木。社木だったとはいえ、またみだりな伐採を禁じられていた地域とはいえ、丹沢で生き延びたという点でも驚いた
写真5: 災害追憶之碑、箒スギから北東に300 m ほど。1972年の災害で15戸流失4名死亡。一昨年の記事「昭和47年7月豪雨災害のこと」でも少しふれた。すぐ横にある渓流は極めて小さく、土石流が起こったとは想像しにくい地形だった。2024年2月現在、このいしぶみは国土地理院の自然災害伝承碑に含まれていない
3月初旬とはいえ、この河内川流域は植生が疎らで生命力に乏しいような気がした。シカの食害も酷いのだろうか?
深成岩類やトーナル岩か、河床の岩石類はやたらと白かった。
同じ丹沢でも2年前に訪れた隣の松田町寄の中津川流域では感じられなかった退廃に似たもので、潤いのない山肌に我が身を重ねる。
写真6: つぶらの公園から富士山を望む。東名高速の都夫良野トンネルのほぼ真上にあたる。14時ころ撮影
肉眼では富士山がもっと巨大に見え、宝永火口のアゴもはっきり分かる。午前の早い時間ならば順光でもっとキレイに見えると思う。
2017年に整備された新しい県立公園で富士の展望台として良好。ただし車がないとキツいかな (おじさんなので7年前はつい最近)
写真右端にブルーシートのようなものが写っているところが新東名の谷ヶ山トンネル東坑口。
山北町を訪れたのは約13年ぶり。中川温泉で湯につかることも考えたが洗濯物を取り込まねばならぬので、とっとと横浜に帰った。
2年前の記事「新東名高速道路の高松トンネル、寄、震生湖」もどうぞ。