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米代川水系の分水界を地図にえがく

公開日: 2024年2月20日

秋田県と青森県、岩手県にまたがる一級水系、米代川の分水界をわかりやすくトレース

マップ読図

米代川の水系、国土交通省 によると幹川の流路延長は 136 km、流域面積は約 4,100 km²。花輪盆地、大館盆地、鷹巣盆地を経て能代平野まで、おおまかに見れば4段の印象。森吉山の火山地形や阿仁川右岸の大野台の段丘 (いったい何面?) も目立つ。南の雄物川と同様に舟運が盛んだった河で、とくに秋田杉が伐り出されていたとのこと

昭和47年7月洪水では能代市において2箇所の堤防が決壊するなどの被害が、平成19年9月洪水では沿川各所において堤防越水および無堤部の氾濫が、平成25年8月洪水では未曽有の出水が発生するなど、前線の影響による水害があった。交通の要衝でもある二ツ井町きみまち阪のあたりがボトルネックなのだろう。

青森県の岩木川水系との分水嶺である矢立峠を越えた旧奥羽本線は勾配が1000分の25 (25パーミル) という急勾配の難所で、蒸気機関車の三重連で運転されていた。矢立トンネルを通る新線に切り替えられたのは1970年。

上小阿仁村はツキノワグマを狩るマタギで有名だったところだけれども、今では秋田県内で最も人口が少なく、また高齢化率も高く過疎で有名な村となってしまっている。

十和田が最後に噴火したのは約1100年前の平安時代 (915年) で、プリニー式噴火、マグマ水蒸気噴火による降下火砕物、火砕サージ、火砕流 (毛馬内) が発生した (気象庁)。

大正5年測図昭和14年修正の参謀本部5万図「八幡平」から一部、Stanford Digital Repository

5万図、八幡平から一部

鉱山址や精錬所址の注記がある。秋田焼山は1949、1951、1957年に水蒸気噴火を起こしたようだ。
1997 (平成9) 年5月の地すべりとそれにともなう土石流で澄川温泉と赤川温泉が押し流された。現場は地下水滞留と熱水変質によりスメクタイト化が進んでいたとのことで水蒸気噴火も併発した。今も気象庁の常時観測火山。
分水界の南側にある玉川温泉と同様、澄川温泉は pH 2.2、赤川温泉は pH 2.6 と強酸性だったようだ。しかし少し下流の銭川温泉 (* 閉業) は pH 8.1 となっている (産総研地熱情報データベース による)。

八幡平の読みはハチマンタイだが、平をタイと読む地名が東北には多い。臺または台も多い。佐藤久「東北地方に於ける地名タイの分布」(地理学評論18巻12号、1942) によると

岱は特異な地名であつて,米代川流域及びその周邊にのみ存在するに過ぎない

北海道にもわりとあるが、たしかに米代川流域には湯ノ岱 (ユノタイ) や李岱 (スモモダイ) など「岱」が多い。地形に由来する接尾辞と考えてさしつかえないのだろう。

一般に山岳の名称は△山、△岳、△嶽などが多いが、東北地方や四国地方には△森が多い。中野弘「我國の山の名の分布」(地理学評論16巻10号、1940) によると

森は岳よりも數に於いて少く総數の約0.8割程度を占めるが,分布の偏倚はより顕著である。即ち,最も多いのは東北の山地で,率も1図幅中の山の名の3割乃至4割を占めるところも少なくない。中でも「森吉山」図幅の如きは最も多く,椈森,猿倉森,黒森,柴倉森,石明神森,葡萄森等31例中24を占める

高さよりも形状や山容あるいは植生によって呼称を選んだのだろうか?

鉱山だらけ

地質図を見たところでシロウトには鉱脈の可能性など分からない。今では自然に還り、あるいは廃墟となっているものが多い。
林業と鉱業が衰退した現在、秋田県には電子部品、デバイス産業が進出しているけれども、米代川の流域ではない。
またこの流域には開拓地も多かったらしいが、行政による整理などで廃村となったところもかなりあるようだ。

以下も参照を

余談。リテラシー (literacy) という言葉はすっかり定着した感じがするが、デリカシー (delicacy) という言葉は聞かれなくなった。私も含め昭和の時代は粗野でデリカシーに欠けていたからだろうか。換言すれば現在は読んだり書いたりする能力に欠けているからリテラシーという言葉が頻出するということだろうか。