明治43年測図昭和9年修正参謀本部5万図、寶立山。Stanford Digital Repository から。
山地は開析が進み、宝立山は残丘。この図幅の北部は地すべり地形がとても多い。
マップ中にレッドで示したラインは、国土地理院が2月14日に公表した「令和6年能登半島地震に伴い生じた地表の亀裂分布」の KML データを Geojson に変換のうえ経緯度の値を小数点以下6桁に丸め軽量化した。
ブルーで示した海岸線は、国土数値情報行政区域データから珠洲市を切り取った。
90年前との大きな違いは国道249号。またいくつかの小さな港湾が建設され、いくつかの集落は消えている。河道が変わったところやダムが建設されたところもある。
全般に変化に乏しいと見るよりは、変化を必要としなかったと見るべきだろうか?
しかし人の暮らしが脈々としてあることは思慮しないといけない。
1年ほど前に 半島振興対策実施地域 についてかんたんに触れたが「旧に復する」のが困難なところもかなりあると思う。同じくベクトルを過去に戻す「復興」というのも容易でないと思う。国には質実な「振興」を進めてもらいたいものだが、今の岸田政権ではまったく期待できない。
2004年の新潟県中越地震のとき、山古志など被災地の人々は辛抱強かった。能登の人々も忍耐力が強いし、年配の方々には達観さえ漂っているように思える。ただし20年前よりさらに過疎と少子高齢化が進んで状況はより厳しくなっているはずなので、同列に比較してはいけないだろうとも思う。
首都圏で同様のことが起きたら、権利意識を丸出しに要求と要望ばかり投げつける人が続出してカオスになるだろう。
有事の際、一方的に受益者の立場を享受できるのかというと、それは絶対に違う。
「輪島を90年前の地図と比較」も参照を