岡山県の一級水系、吉井川の分水界をわかりやすくトレース
吉井川の水系、国土交通省 によると幹川の流路延長は 133 km、流域面積は約 2,110 km²。やはりダムは灌漑用の小規模なものが多い。
津山盆地は思いのほか凹凸が多くてフラットな土地が少ない印象。美作追分駅周辺の谷中分水界は国土地理院地図の「自分で作る色別標高図」にしたがった
『建設技術者のための地形図読図入門』(鈴木隆介、古今書院) によると、流域の北東 (美作市) に左横ずれ断層地形がある。丹那のように谷の線が並列してズレている。
人形峠はむかし天然ウランの採掘がおこなわれていたことで有名。
中国地方なので峠を「たわ」と読むのが多い。乢 (たわ、だわ) の字もかなりある。山岳の名には三十人ヶ仙や山形仙など「仙」もめだつ。那岐山は「なぎさん」とも「なぎせん」とも読むらしいので地元の方々でも揺らぎがあるのだろう。
六郎谷や木地山など木地師にちなむと思われる地名も散在している。
土木學會誌第21巻第2号 (昭和10年2月) に彙報「志戸坂隧道開削工事」(三宅発造, PDF) があった
志戸坂は古くは「駒返り坂」とも呼ばれていたようだ。馬も引き返すくらい峻険だったという意味だろう。智頭町駒帰の地名そのまま。
鳥取側坑口より約 60.00 m の区間は湧水甚しきため巻立コンクリート外部に生子鈑を張り詰めて巻立を施工す...
将来の電燈料は山陽水力電気株式会社の寄附により無償にて点燈の見込なり...
地質は主に石英脈岩,粘板岩の如き堅固なる地質なる故底設導坑とす
峠の鞍部直下をうがっていて (地図中の TN)、しかも鳥取側は谷の直下にもなっているから湧水したのだろうか。鳥取側坑口のほうが標高 492.31 m で岡山側の 479.57 m より高く、不均衡な拝み勾配だったようだ。延長 565 m、工費 32 万円、竣工は1934 (昭和9) 年9月。
この「谷に突っ込んで最短距離で鞍部の下を通す」ルートの選びかたは、同時期に施工された岩手県の雄鹿戸隧道 (延長 580 m、工費 33 万円) に似ている。戦前のこの時代は、雪崩や土砂崩れの危険を顧みるよりもまず「通す」のが大事だったのかもしれない。知見に恵まれた現代の土木では、まず見られないルート選択だろうとも思う。雄鹿戸は予算も日数もないためボーリング調査もせず施工したらしいが、おそらく志戸坂も同様にエイっと掘ったのだろう。
新しい志戸坂峠道路の志戸坂トンネル (1981年開通) は南北とも坑口が標高約 440 m でリスキーな谷口を避け、東側の安全そうな地山へ逃げている。岩手県の新しい押角トンネルもまた奇しくも似たようなルート取りになっている (こちらは1947 (昭和22) 年に開通した鉄道トンネルの再利用。上掲のマップ中、宮古市と岩泉町の境にマーカーを付した)。
旧志戸坂隧道、今は廃道となって通れないようだ。この峠は陰陽の境にあって昔も今も大切な往来であることに疑いはない。
現在の志戸坂峠道路は鳥取自動車道の一般道活用区間でもあるが、スタックによる交通障害が多発するとのこと。その場合に代替路がないので、国交省中国地整鳥取河川国道事務所により「志戸坂峠防災」が平成31年度に事業化されている。地図中にライムグリーンでおよその線形をえがいた。
以下も参照を
加古川と高梁川はすでにやったので、揖保川や旭川などとの間をとって吉井川の線を引いた。個人的には山陽の主要河川の並びがわかりやすくなった。
56歳にもなれば新しいものを創造することはむずかしいが、いましばらくは手を動かし勉強がてらコンテンツを作ろうと思う (人の役に立つものを作るとは言ってない)
なお4年後には「3倍成人式」と称して金髪に染めド派手な服を着ようかと考えている。