トップ » 記事 » 相模川水系の分水界を描くマップ

相模川水系の分水界を描くマップ

公開: 2022年12月09日, 更新: 2023年04月11日 by ちずぞう

相模川の右支川、愛川町を流れる中津川。6月に撮影した写真だが、いま見ると生命力が暴発しているあんばい

愛川町の中津川

さらにその上流、清川村煤ヶ谷札掛を流れる布川。歩くだけでヤマビルがまとわりついてくるのでデコピン炸裂必至

清川村札掛を流れる布川

神奈川県によると相模川は幹川流路延長 113 km、流域面積 1,680 km² の一級河川。国交省や神奈川県による流域図では富士の山頂まで線が引かれているが、倣って分水の線を引くわけにはいかない

POI POI

相模川の水源は山中湖とされる。源流の石碑などが設置されている河川は珍しくないが、ピンポイントでこだわる必要性を私は感じない。河口湖は天然の流出口がないが、古くは新倉掘抜、現在は嘯新放水路により支川の宮川に流出するため相模川水系に属する。
神奈川県内の水道水の約60%は相模川水系から供給される。関東1都5県が渇水で苦境に陥っても神奈川だけ水の心配がないのは、山梨県と相模川のおかげ。または富士北麓と丹沢の多雨の恩恵を受けているおかげ。
この南隣の酒匂川水系にある三保ダムも重要な水がめになっている。
もし富士に火山イベントが発生しても、側火山の並びなどからしてこの流域に影響はあまりないのかなという気がする(素人の甘さ?)

参謀本部2万5千図「與瀬」昭和4年測図 Stanford Digital Repository から一部。現在の相模湖駅は当時「與瀬駅」になっている。相模ダムが完成して沈む前、与瀬の谷底は冗長に広かったのね。右岸には水田を守る堤防があったようだ

昭和4年相模湖の周辺

次は国土地理院の 地図・空中写真閲覧サービス から、1942/11/06(昭17)の一部を回転。現在のダム底の澪筋を想像できる

国土地理院の地図・空中写真閲覧サービス1942/11/06

ダムに沈んだ勝瀬集落の段丘は3段ないし4段かなぁ? 少し上流にある上野原の段丘群の地形に相似していただろうか。道志川沿いにある青野原の段丘は異質のものと思う。

また笹子峠が交通の意味でも重要な分水嶺なのだなぁと思わされる。
明治32年9月の『工學會誌』* 第210巻「中央鐵道線八王子甲府間ノ工事ニ就テ」(古川阪次郎)を読むと、鉄道の中央線は笹子のほか

といったルート案もあったそうだが「先ヅ後來一番利益デアラウト」いう理由で現行の線となった。笹子を越えるにあたり当初はアプト式を採用しようとしたものの碓氷峠の成績がいまひとつだったため「費用ガ少々餘計ニ掛ツテモ宜イカラ普通ノ鐵道ヲ敷クヤウニ」となって長いトンネルを堀ったらしい。後世から見たら英断だ。(* URL は http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/kogakkaishi/ )
昭和の時代になって高速道路も笹子をルートとしたのも同様の理由だろう(こちらは平成の時代になって天井板崩落事故が起きた)。

おまけ、城山ダム左岸の中沢地区には、智、信、忠、孝、義という字(あざ)がある。私のような道徳的でない人間にとっては畏れ多い。
北都留郡丹波山村と小菅村の大部分および甲州市の柳沢峠より北は相模川でも富士川でもなく多摩川水系に属するから、山梨県の中では異端の地域だ。生活や文化の面でもそちらへ傾斜しているのかもしれない。

以下も、あわせてどうぞ

余談。寒いので、横浜市十日市場にある「中華レストラン 登龍門」の担々麺の画像など

登龍門の担々麺

起床後に白湯をすすっては洟をかみ、昼に熱い麺を食っては洟をかみ、夜に風呂をあがっては洟をかむというルーティンを継続したら、慢性的だった副鼻腔炎が治りました(個人のケースです)。洟をすすり上げる癖がつくと副鼻腔にダムを作ってしまうのでしょう。今は鼻腔がスースーと通り頭痛も起きないし風邪もひきにくくなったので、おじさんは満足です。
九州出身で剣道初段という保守的な属性が私にはありますが、でも「風邪くらいで何だ!」などと気合や根性に恃む精神論は嫌い。

最新記事=大和川水系の分水界を描く (2023年06月06日)
Japonyol