国土交通省 北海道開発局帯広開発建設部 によると幹川流路延長は 156 km で流域面積は 9,010 km²、支川は 204 河川にものぼり、流域面積は全国第6位という大河。分水界をわかりやすくトレース
帯広開建によると幹川上流部の河床勾配は 1 / 200 ~ 1 / 450 程度、中流部は 1 / 600 ~ 1 / 1,250 程度、下流部は 1 / 2,750 ~ 1 / 5,000 程度の緩勾配とされている。
1 / 100 ~ 1 / 250 の急勾配で流下する音更川と札内川が帯広市街の近くで相次いで合流し、比較的短時間に水位が上昇しやすいことから洪水氾濫により甚大な被害を生じる恐れがあるとも記されている。
開拓史や治水の歴史についても帯広開建に概略が示されているので、ここでは触れない。
色別標高図と傾斜量図を重ねた状態で見ると随所に河岸段丘が目立つが、十勝川と然別川に挟まれた台地がとくに明瞭。更別村とともに灌漑給水地域となっており、水の確保がむずかしいことがうかがえる。
更別村の南隣、大樹町を流れる歴舟川は、むかし十勝川の支流だったとの説があるようだ。奇特な分水界にはたいてい理由がある。
ミツカン 水の文化センター機関誌『水の文化』72号「開拓で成長していった大樹のかたち 十勝川」によると、音更川では「十勝石」と呼ばれる黒曜石が見つかるとのこと。いわく源流域の十勝三股で 210 万年ほど前に火山が噴火して溶岩が流れ出たためらしい。
内閣府防災情報のページにある「十勝岳火山の特徴と噴火の歴史」(PDF) では
今からおよそ50万年前に、十勝岳よりも 30 km 余り北東で、破局的な噴火が起こった。破局的な噴火とは、日本列島で起こりうる最大級の噴火、大規模火砕流の発生とそれに伴ったカルデラの陥没を指す。この地域で、200 万年前から何度か繰り返した破局的噴火の最後の出来事だった。噴火が起こった場所は今、人里まれな奥地に静まり返っている。十勝三股盆地である
この盆地にある 温泉 は岩間と幌加くらいだが、西隣のトムラウシにはたくさんある。クマネシリ岳も火山地形。これら源流域の地形は、非常に興味深い。然別湖の周囲には Lava Dome らしきがチラホラ。
十勝川流域の本格的な開拓は明治16年に始まり、十勝川の本格的な河川改修は大正12年に始まったとのこと。
大正9年測図昭和5年部分修正参謀本部5万図「帯廣」Stanford Digital Repository から
現在の帯広市街は「東西南北 n 条 n 丁目」という区割りとなっているが、この古い地図には「木賊原」(とくさわら) の名がある。とくさ (木賊、戸草) 地名は東日本各地に散在するが、北海道にもあったのだな。
今は廃止されて存在しない士幌線や広尾線が十勝の開発に寄与したのだろう。私鉄軽便鉄道の十勝鉄道も記載されている。
音更川や札内川など支川もまだ自然河川の状態だが、この東隣の図郭「十勝池田」はさらに蛇行が激しい。
以下も参照を
わが家では長いこと上白糖を使わず十勝産の甜菜糖を使っている。おはぎを買うときは十勝の餡のものを買う。