昭和5年5万分の1地形図「立山」の一部を載せる。
が出来る前。
立山連峰の東斜面には多くのカールとU字谷が見られる(ロープウェーが懸かる など)。山崎圏谷だけ例外的に西側。
龍王岳~国見岳~天狗山の山稜はカルデラ壁なのだそうだ。言われなければ分からん。
ダムの下流は崖記号だらけ。逆に上流側は安寧が見て取れる。
ブラタモリでダムの建設位置について触れられていたが、地質図と合わせて見ると、なるほど、と首肯させられる。
とダムを結ぶ関電トンネルも、地質の点で難工事だったのではなかろうか。
戦国の武将、佐々成政が1584年の冬に を越えたという説は有名だが、芦峅寺と大町を結ぶ小径が古くからあったことは確かだろう。ダムに沈んだ平ノ渡場は、昭和初期にどのような佇まいだったのだろう?
明治時代のはじめころには既に小屋があったらしい。
おまけ。黒部川の下流・宇奈月町に、通常でない谷底幅をした がある。側刻を許さない強固な岩脈か。色別標高図で見ると愉快。
秋の大町・扇沢は素晴らしい。どのくらいバイクで徘徊したか分からないくらい、かつては走り回った。