黒部第三発電所の建設(1936(昭和11)年8月着工、1940(昭和15)年11月竣工)は、嶮岨な黒部峡谷の岩盤最高温度166度という高熱地帯にトンネルを掘鑿する難工事で、犠牲者は300余名を数えた。吉村昭の小説『高熱隧道』は、この事実に基づいたフィクションで1967(昭和42)年に発表された。
1939(昭和14)年7月発行の『土木學會誌』第25巻第7号に「黒部川第3號發電所工事中阿曾原溫泉地帶高熱隧道工事に就て」という藤井雄之助(日本電力株式会社土木部設計課長)の報告がある(以下、原文ママ)。
本工事區域の岩質は全部花崗岩類で,仙人谷附近より下流中の谷附近迄水路區域の上流部 1/3 位は第3紀初期と推定せらるゝ粗粒質又は細粒質の花崗岩であり,以下は中世代と推定せらるゝ閃緑岩,石英閃緑岩及花崗岩である。
此の第3紀層の花崗岩に伴つて溫泉が現はれて居るのであつて,仙人谷より約1km上流の東谷附近より阿曾原谷の稍ゝ下流迄の間,本流河岸,溪谷筋等に至る處に湯煙あげて溫泉が湧出して居る......
鑿孔内 1.5 m の深さに溫度計を挿入して孔を塞ぎ約 30 分を經過すると,110~125°C迄溫度上昇を見るので,内部岩盤溫度は 120°C以上と推定せられるが,勿論多少なりとも地下水の存在する處では之が 97~98°C,殆ど沸騰點近い高溫の溫泉となつて現はれて居る
小説の記述も、これにほぼ等しい。もっとも、吉村昭は執筆にあたって当然この論説報告を読んだはずだ。作中に出てくる日本電力課長の「藤平」とは、藤井氏がモデルだろうか?
この論説報告は工事が完了していない時期(進行形)のものだが、その困難と労苦が随所にうかがえる。
坑内氣溫次第に上昇し,45m附近では岩盤表面溫度63°C,坑内氣溫38°Cに達し,滴々落つる溫泉溫度は86°Cを示した。岩盤内部は恐らく100°C以上であつたと想像せられる。更に50m附近では坑内氣溫45°Cに達し坑外氣溫に比して30°Cの差を示し,作業頗る困難となつた......
横坑123mの箇所は,試錐用に水を注入するに拘らず95~96°Cを示す事から推察するに矢張110°Cの岩盤溫度を有しているに相違なく,卽ち掘進して行つても内部の溫度は殆ど変りなく,換氣その他の條件が惡くなることを考慮すれば作業は益ゝ困難となる見込で,玆に何等か對策を講ずる必要あるを確認......
仙人谷~阿曽原の (並走する水路トンネルも)。
上記の論説報告は1938(昭和13)年10月23日の土木学会講演会の文字起こしなので、その約2か月後(12月27日)に志合谷でホウ(泡)雪崩が発生し が破壊され多数の死者が出た悲劇については、当然ながら記述がない。
「土木建築工事画報」第16巻2号(昭和15(1940)年2月)に、当時の写真が収められている。そのPDFファイルを見ると、小説のイメージも捉えやすくなると思う。
小説発表の翌年、1968(昭和43)年『土木學會誌』第53巻第4号に、吉村昭の講演録が掲載されている。
作品を書いたものですから,講演の依頼に見えた東北電力の方も,私が技術に強い人間だと思われたのでしょうけれども,これは大変な誤解です(笑)。強いどころか,停電になってもヒューズを取り換えるのは女房です(笑)......
私が土木にいくぶんでも興味を持つきっかけになったのは,女房の従兄が佐藤工業におりまして,黒四のときには越冬隊長をやったりしていました......その従兄のいる黒部の第四発電所へ行ったわけなんです。
宇奈月から軌道車に乗りまして,欅平へ入って,立坑を190何メートルだか上りました。その終点で今度は妙な箱に乗せられた。大きな棺おけか風呂みたいな密閉された箱車なのです。動き出してしばらくすると,体が温かくなってきた。そのうち,その温度が段々ひどくなってきて,ひょっと見ると,ガラス窓の外が湯気でいっぱいになっているし,とびらの間からも湯気が入ってくる。これは火山の爆発か何か天変地異が起ったんじゃないかと恐怖を覚えたのです
なお小説の中で「日本の工事史の上では、わずかに伊豆半島の伊豆多賀で岩盤温度摂氏六〇度の隧道を貫通させたという記録が唯一の前例として残されている程度」(新潮文庫版、p.30)とあるが、1939年4月発行の『土木學會誌』第25巻第4号に収録されている星野茂樹(鉄道省)の彙報「伊東線建設概要」によると、網代から伊東へ抜ける宇佐美隧道を指すようだ(現在の宇佐美トンネルは後継の別物)。
2 km 920m の單線隧道であつて,網代口より 1km 820m 間は 14/1000 の上り勾配,残り 1km 100 m 間は宇佐美に向つて下り勾配である......
實際掘鑿の結果は豫想に反し,坑門附近僅かの部分を除き殆ど全部が溫泉餘土と稱する特殊の地質である上に,宇佐美口より約 650 m には極めて不良の大断層あり,坑奥は断層接続し断層破砕帶の發達せる地質となつてゐた......
特筆すべきことは土圧の頗る強大であつたことゝ,坑内氣溫の異状に高かつたことであつた。
當隧道の大部分に亙つて存在する溫泉餘土とは,火山の後期活動の産物として高熱の溫泉や噴氣孔,硫氣孔等が断層或は地殻の亀裂に沿ふて出来た爲,それに依り火山岩が腐蝕分解して出来た安山岩の変朽せるものと推定される。掘鑿當初は相當に硬いが空氣に触れると直ちに風化して崩壊し,此の時膨張する特異性を有しこれがため強大なる土圧を生じ支保工を屈折し,コンクリートを破壊する等,工事上極めて厄介なものである。而も溫泉餘土中の硫化鉄は空氣に触れて酸化発熱し,爲に坑内氣溫は上昇......
黒部はアルカリ性だったらしい。近年では、アカンダナ火山の下を貫通する安房トンネル工事の際、中の湯の付近で事故が起きた。
少し前、悠長に 日本国内の温泉一覧マップ を作ったが、こと土木施工において温泉は厄介な代物であることに間違いない。
※2022年9月28日追記:黒部ダムと欅平を結ぶ新観光ルートの名称が「黒部宇奈月キャニオンルート」に決定した。2024年度に一般開放されるとのこと。
出典=土木学会