島原大変肥後迷惑は、1792年5月21日に島原で発生した雲仙岳の火山性地震およびその後の眉山の山体崩壊と、それに因る津波が島原や対岸の肥後を襲った大災害。
国土地理院の自然災害伝承碑データから、災害名に「眉山崩壊」を含むものだけ表示
碑の分布からして肥前と肥後だけでなく筑後にも影響があったのではないかと思うのだが、どうなのだろう?
追記、「寛政四年 (1792) 島原半島眉山の崩壊に伴う有明海津波の熊本県側における被害,および沿岸遡上高」(東京大学地震研究所 郡司嘉宣, 日野貴之, 1993, PDF) によると
有明海対岸の被害は,熊本県が大部分なのではあるが,わずかな被害は佐賀県,福岡県にも出ている……
長洲町以北には,ほとんど津波の被害が無かったようであるが,これは,長洲付近が突出した有明海東岸の海岸線であるという形状を考慮すると,予想されうる事実である.(p.105~p.106)
とあった。ちょっと納得しにくい記述だが、有明海北部は遠浅であることも関係するのだろうか。
この出来事から140年後の1932 (昭和7) 年修正参謀本部5万図 島原 Stanford Digital Repository から一部。現在よりも崩壊の描画が多く残る
眉山は七面山と天狗岳からなり、いずれも溶岩ドームとのこと。
2017年に「雲仙普賢岳の変化を古地図と比較する」というメモを書いたが、これを補完。
すべての碑データは「自然災害伝承碑データを表示する」に収納しています。