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雲仙普賢岳の変化を古地図と比較する

公開: 2017年09月17日
更新: 2023年06月01日

雲仙岳はもともと、国見岳や妙見岳などの環状山稜に囲まれた小型カルデラの内部に、普賢岳の溶岩円頂丘があった。
旧参謀本部の5万分の1地形図「島原」(明治33年、昭和7年要部修正)を一部載せる。

参謀本部の5万分の1地形図「島原」

まず1792年に POI で地震に因る(といわれる)山体崩壊(深層崩壊)とこれによる津波災害が起きた。
「島原大変肥後迷惑」と呼ばれ、肥前国と肥後国合わせ死者・行方不明者1万5千人(うち熊本側が約5千人)という、有史以来日本最大の火山災害。「崩山」という地名が見られるが、故のあること。沖の九十九島(つくもじま)は、眉山の流れ山。
フルスクリーンをお勧め。

1990年11月から、普賢岳のすぐ東でたびたび噴火、1991年6月3日に発生した火砕流が大きな被害をもたらした。
稲生山の南の谷と仁田峠から東へ下る赤松谷(水無川上流)が火砕流に見舞われた。
結局この火山活動は1995年にかけて続き、POI ができた。この新山は雲仙だけでなく長崎県の最高峰にもなった。

新旧の地形図を比較すれば、POI の南北にあった谷が埋積していることが判る。60年代から70年代の航空写真と最新のシームレス画像を見比べると、いわゆる POI 付近の集落が壊滅したことも、よく分かる。
島原半島そのものが活きた島なのだろうが、当分の間は静かにしてもらいたいものだ。

(一財)砂防・地すべり技術センターの 機関誌『sabo』Vol.106 に、太田一也氏(九州大学名誉教授)の「普賢岳噴火時の砂防をめぐる警戒区域設定解除の攻防」がある。
火砕流災害から20年後の平成23(2011)年のもの。学者の側からの視点だが、火山防災のためにも重要な文書だと思う。

2023年5月追記、「眉山の崩壊による島原大変肥後迷惑」を書いた。

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