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雲仙の変化

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雲仙岳はもともと、国見岳や妙見岳などの環状山稜に囲まれた小型カルデラの内部に、普賢岳の溶岩円頂丘があった。
旧参謀本部の5万分の1地形図「島原」(明治33年、昭和7年要部修正)を一部載せた。

まず1792年に眉山で地震に因る山体崩壊(深層崩壊)とこれによる津波災害が起きた。
「島原大変肥後迷惑」と呼ばれ、肥前国と肥後国合わせ死者・行方不明者1万5千人(うち熊本側が約5千人)という、有史以来日本最大の火山災害。
「崩山」という地名が見られるが、故のあること。沖の九十九島(つくもじま)は、眉山の流れ山。

透過:        色別標高図:   

1990年11月から、普賢岳のすぐ東でたびたび噴火、1991年6月3日に発生した火砕流が大規模な人的被害をもたらした。
稲生山の南の谷と仁田峠から東へ下る赤松谷(水無川流域)が火砕流に見舞われた。
「島原大変肥後迷惑」の原因となった眉山の山体が、この時は島原市中心部を火砕流から守る恰好となった。
結局この火山活動は1995年にかけて続き、平成新山ができた。この新山は雲仙だけでなく長崎県の最高峰にもなった。

新旧の地形図を比較すれば、稲生山の南北にあった谷が埋積していることが判る。
島原半島そのものが活きた島なのだろうが、当分の間は静かにしてもらいたいものだ。