内務省および参謀本部、大正元年測図昭和6年修正5万分の1地形図「白馬嶽」の東側と「戸隠」の西側を重ねて載せる。
長野市の戸隠というと、その山は威容を誇り、創建2千年あまりという歴史がある で、つとに有名だ。蕎麦も。
それにひきかえ、西隣の旧「鬼無里村」は地味で、顧みられることが少ない。鬼女紅葉などの伝説があるが、まんが『日本むかしばなし』の世界というか、何かしら魑魅魍魎とした、本当に神様や鬼が出てきそうな不思議な雰囲気がある。
鬼無里には、東京(ひがしきょう)や西京(にしきょう)という地名があり、そこに 、
(字東京二条)や
といった、京都の由緒(と思われるもの)が残っていることで知られる。
また信州には「日向」と「日影」という地名の組み合わせが各所に見られる(白馬の日向大左右と日影大左右、大町の大塩日向と大塩日影、池田町の陸郷日向と陸郷日影、豊岡村の日向山と日影山、旧安曇村の日向窪と日陰窪、飯田市の日向平と日影平 etc)。鬼無里に「日影」はあるが「日向」が見あたらない。
尾瀬を上回るミズバショウ群落が現在の で発見されたのは1964(昭和39)年。つまり上記の地形図が測図されたときは未知だった。それほどに秘境だったということか(5万分の1とはいえ、この時代の地形図は人里離れた山岳地帯の尾根や谷は軒並み記載が大雑把だ)。
1973(昭和48)年4月18日、融雪により飯縄山北面(萩之峰)で大規模な が発生している(この地域は地すべり地形ばかりだが、そこで豊穣も得てきた)。南の小川村~旧美麻村にかけて、とても佳い山村。
国道406号を西へ走り白沢隧道を抜けると、後立山連峰がドカンと目の前に聳える。そこはもう白馬(はくば)村。よく混同されているが、山の白馬岳は「しろうまだけ」。
長野の廃線、善白鉄道、明治時代の姫川周辺も参照を。