明治44年測図昭和7年要部修正地理調査所5万図「川原河」MapWarper から。
穿入蛇行で旧河道や還流丘陵だらけ、吊り橋も多いし、垣内 (かいと) 地名も多い
法事峠というのが図郭の北端にある。静岡県の水窪と佐久間の境にある北条峠 (または傍示峠) も読みは同じく「ほうじとうげ」で領家方と地頭方の境となっているが、この和歌山の法事峠も領域の境が起源か?
寒川村 (そうがわむら) には登録有形文化財の寒川家住宅がある。その近くに朔日というあざがあるが「ついたち」と読むらしい。寒川村は川上村と合併して美山村となり、現在は日高郡日高川町。ただ寒川の地籍は龍神側にも及び地形的には飛び地のようになっている。
北隣の有田郡有田川町はそのまんま有田川の流域であり、分かりやすい。
唐尾隧道が記載されている。しかし現存するソレとは標高も長さもちがう。つまり先代の廃隧道。
旧川上村、とくに弥谷は1953 (昭和28) 年7月18日に紀州大水害を被って、その災害伝承碑がいくつかある。これについては「歴史的大規模土砂災害地点を歩く コラム58」に詳しい。
1889 (明治22) 年の大水害では、和歌山県の記録 (PDF) によると死者1,221人という記録が残っているようだ。国交省近畿地整の PDF にも詳しい (p.73~)。被害は石碑が残っているところだけではなく広範に及んでいることを思慮しないといけない。
神場の鉱泉記号がある。1886 (明治19) 年に内務省衛生局が編纂した『日本鉱泉誌』にも載っている古い炭酸泉のようだが、これも紀州大水害によって営みを終えたようだ。
古い地図は異体字や旧字が多いが、これは知識が要る。福岡県の須恵町は、住民基本台帳や戸籍で今なお「須惠町」を用いているらしい (データとして取り扱うときなどにトラップとなって困る)。
以下も参照を
自然とは何か@パラグアイのイグアス、© 義兄
私が子供のころは道端でマムシがカエルを丸呑みしているのを見かけたりした。野生というのは恐ろしいものだ、という畏怖を覚えたものだが、現代の日本ではそんな現場を目の当たりにする機会はそうそうない (と思う)。
自然というもの、野生というものは、残酷で慈悲などない。その事実を端的に示唆していると思う。
信州の松本に暮らしていた頃、冬用といえばまだスパイクタイヤが主流だったのだが、これはタイヤに埋め込まれた鋲が路面を削って粉塵を巻き上げ害も多かった (路肩の残雪は黒く汚れ、路面は轍が凹み波打っていた)。そのため現在はスタッドレスが主流となっている。
降雪時には運転しないのが無難だろうが、寒冷地に住む方々はそうもいかない。「観光して良かったところ」は決して「暮らしても良いところ」じゃないという点を暖地の人々は推量すべきと思う。とくに冬季は。
ところで、ももすももす「トニートニートニーチョッパー」♪ の中毒性がひどい。58のオッサンの脳まで冒している。