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長浜から敦賀、新旧の北陸本線

公開日: 2021年7月7日

滋賀県長浜から福井県敦賀の間は、1884(明治17)年4月16日に柳ヶ瀬トンネル経由で全通。25 ‰ もの急勾配が連続、急曲線も多く、冬季の豪雪と雪崩の危険などなどの問題を抱えていたそうで。

新旧の路線

明治25年測図昭和7年修正、内務省5万図「敦賀」から。

明治25年測図昭和7年修正内務省5万図「敦賀」Stanford Digital Repository

従来線と新線を比較すると、最高地点の標高は従来線が 246.73 m に対し、現在の線では 143.80 m なので、勾配は大きく緩和。

次は『工学会誌』第1輯1巻「米原敦賀間鉄道建築景況」(千種 基、明治14(1881)年)から、柳ヶ瀬隧道、小刀根隧道から曽々木について記載された部分

『工学会誌』第1輯1巻「米原敦賀間鉄道建築景況」から

1行目に長さが「六百九十八間半」=1,270 m とあるが、現状の 1,352 m と合わない。
2行目に「十五鎖半徑ノ曲路ナリ」とあるが、1 チェーン=20.1168 m だから、柳ヶ瀬隧道の敦賀側入口は半径約 300 m の曲線。
3行目に「此ノ隧道前直ニ長サ二十四間ノ小隧道アリ」とある。24 間=約 43.6 m で曲線半径は同じだが、そんな小隧道は存在しない。
隧道間を覆って繋げたのではないか? 柳ヶ瀬山に通じる道が怪しい。谷の出口で危険だし、小渓流の水流は盛土でトンネル上を越させたのではないか? Youtube でいくつか走行映像を見ると、曲線で側壁が石積ではなくモルタルの部分がある。
長浜側入口も、おそらくシェッドが継ぎ足してある。これらの総計が1,352 m なのだろう。
明治の時代とはいえ、仕様を誤記誤植したとは考えにくい。
現地を見ないと分からないが、いかんせん横浜からは遠すぎる。

明治25年測図昭和7年修正陸地測量部2万5千図「中河内」で見ると、柳ヶ瀬隧道の敦賀側、R が現行地図より大きく描画されている。刀根駅はスイッチバック。

明治25年測図昭和7年修正陸地測量部2万5千図「中河内」Stanford Digital Repository

現在は車道となっている柳ヶ瀬トンネルは描画が少しおかしいということになるが、国鉄の古いトンネルの記載は、地理院タイルとはいえ誤っていることがある(こちらを参照=地形図の更新とトンネル)。

* 2023年5月追記、土木学会附属土木図書館 デジタルアーカイブス土木貴重写真コレクション に、明治28年の大水害の記録があった。

土木学会土木貴重写真コレクションから

柳ヶ瀬隧道は、やはり竣工当時の姿ではない。

新線の深坂トンネル(現在の上り線、1953(昭和28)年3月完成。5,170 m)は勾配が 9 ‰ の設計、湧水や膨張性土圧で難工事だったとのこと。

上記の地図、60年代の画像は柳ヶ瀬線廃止前後のものと思われる。

なお、北陸新幹線は敦賀から小浜を経て京都、大阪へ向かうことになっており、この地域は通らない。
こちらも参照を=敦賀湾と杉津周辺いまむかし廃止された鉄道路線と駅のマップ