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黄瀬川大橋が一部崩壊した件

公開: 2021年07月09日, 更新: 2023年04月11日 by ちずぞう

昭和2年修正2万5千分の1参謀本部「三島」Stanford Digital Repository を見ると、黄瀬川の流路は94年前と大差ない。
左岸、現在の清水町伏見から八幡の R が大きくされ以降の河道が拡張されたのと、渡戸川放水路がつながった程度か。
また駿豆鉄道の三島駅は現在の下土狩駅。丹那トンネルの貫通前で御殿場線が東海道線だったころ。

昭和2年修正2万5千分の1「三島」

静岡新聞によると

静岡県沼津土木事務所は7日、梅雨前線の停滞に伴う大雨で沼津市・清水町境の黄瀬川大橋が一部崩壊した原因について、強まった川の流れで川底が削られ、橋脚1基が傾いたとの見解を示した

また沼津市によると、黄瀬川大橋は I 桁橋5径間、長さ 83.5 m、幅 12.5 m なのだそうだ。

黄瀬川大橋の地図

傾いたのは、4つある橋脚のうち、もっとも右岸寄り(西側)のもの。
航空画像で見ると、北から南へ流れる黄瀬川の攻撃部と滑走部が明確に分かりやすい。

所長は「原因は調査中」としながら、黄瀬川が大橋の手前でカーブし、傾いた橋脚辺りの流れが遠心力で強くなったと推測した。川底を保護するために設置したコンクリートブロックも流出したとみられる(静岡新聞)

中部地方整備局沼津河川国道事務所は、もともと黄瀬川大橋の架け替えを検討していたようだ。
ひとつ下流の黄瀬川橋は先に架け替えが済み、2014(平成26)年3月8日に開通している。

度を過ぎた大雨のとき水は河床を露骨に下刻するということは、私も田舎育ちなので経験的に分かる。
攻撃部の側刻を防ぐ堤防強化だけで充分とはいえないのだろう。
横浜市の(元)暴れ川である帷子川などは、途中の旭区白根から西区楠町まで 5 km ほど暗渠の分水路が設けられている。

くだんの熱海の災害の報道を見ていたら、被害者の家族が「火山岩だから安全だと言っていた」といった旨のコメントが流れた。
これが一般の広い認識なのか、誰かの唆(そそのか)しなのかは分からないけれど、危ういと思った。闇を見た思いがした。
すべての自然災害を一般論という地平に降ろして良いのか? というところまで突き当たる気がする。
富士山麓と(たとえば)東京都心などを、同じ尺度規矩で防災について論じるのは、無意味じゃないかな? 地域特性を加味して理解しないと、命を落としかねない。

余談。
いま五輪中止を決定したならば、その決断に勇気と感動をもらえるかもしれない。(おおウソ)

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