兵庫県の一級水系、円山川の分水界をざっくりトレース
円山川の水系、国土交通省 によると幹川の流路延長は 68 km、流域面積は約 1,300 km²、支川は95にのぼる。京都府および鳥取県と接するから、つまりこの水系南部の中央分水嶺は但馬と摂津および丹波との境というおおざっぱな理解でよいのだろうと思う。
1959年9月の伊勢湾台風では豊岡市内の約60%が浸水するなど、昔から洪水に苦しめられてきたとのこと。広い豊岡盆地は出石町や日高町から低平、隣の由良川と同じく河床勾配が緩慢で排水が良くないのは明らか。堤高 15 m 以上の狭義のダムは6つだけ
国土地理院の 日本の典型地形について によると神鍋山はスコリア、アルカリ玄武岩質で風穴もあるとのこと。また上佐野山の火山岩頸は但馬空港の工事で明らかになったもの。
宝山 (たくらやま) は火山砕屑丘、夜久野ヶ原の台地を造ったとある。ここを通過する山陰本線の夜久野トンネルについて「私のトンネル路線選定秘伝」(PDF, 大島洋志, 『応用地質』第45巻第4号) によると
山陰本線の京都・兵庫県境にある単線並列の夜久野トンネル (旧: 1,287 m, 新: 1,517 m) は,古い方が明治末に竣工,新しい方は昭和の末期に建設されました.トンネルは北側にある宝山 (標高 349 m) から流れ出した玄武岩溶岩台地を貫いており,旧トンネルには 2~3 m³ / min の恒常湧水がありました.新設トンネルは,旧トンネルの北側約 100~50 m 離れた現在の位置に計画されていました.計画路線の近くには地元が灌漑や水道水源とする小さな湧水が数箇所あり,これらへの懸念がありましたので ... 在来トンネルの南側に路線選定することを勧めました.しかし,線形が悪く,トンネルが長くなるなどの理由で却下され当初計画どおりに施工されました.
順調に掘り進みまもなく京都方の頁岩層に到達すると予定していたころ,突然にスコリア層にぶち当たり大量の出水に遭遇しました.この出水によって懸念していた水源は涸渇してしまいました.路線選定上はやむを得なかったとは思いつつも,もう少しどうにかならなかったかな,と悔いを感じているトンネルです
もはや活動していないとはいえ、火山を掘るのはむずかしいということか。
ここは 日本地下水学会 (PDF, 非SSL) でも次のように記されている
上位台地の地下水は,下位台地との境界部の細粒層を難透水層とし,宙水となって存在する。台地東部の上位台地と下位台地の境をなす急斜面の脚部付近に湧出している
城崎温泉は明治19 (1886) 年に内務省衛生局が編纂した『日本鉱泉誌』2巻 p.455 に「湯島鑛泉」の名で載っており、泉質は塩類泉、発見は養老四年庚申とある。ユリウス暦で720年2月、あきれるほど歴史が古い。また有馬温泉と同様に高温。
西村進「近畿地方の高温泉とその地質構造」(温泉科学、2011) によると
城崎温泉は第四紀アルカリ岩系の火山活動の熱と一部溶岩に含まれる成分をわずかに溶かしている,火山活動に関連する温泉であると考えられる
この意味でも、活火山や死火山という古いカテゴライズは誤りだったのかなと思ったりする。
豊岡市出石は城下町として、養父市大屋町大杉は山村集落および養蚕町として、いずれも重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
神子畑選鉱場は、かつて隣町にあった明延鉱山の選鉱施設だったらしい。明延鉱山は戦国時代頃から採掘が始められ、金銀銅鉛錫などを産出してきたとのこと。
明治31年測図昭和7年修正の参謀本部5万図「大屋市場」から一部、Stanford Digital Repository
明延と神子畑を結ぶ電気軌道は、明神電車とか一円電車などと呼ばれていたらしい。
養父市 によると地図中のトンネルは昭和4年竣工全長 3,937 m の明神隧道 (第3隧道) というようだ。1987年に閉山、廃止。
馬車軌道の神子畑鋳鉄橋は1885 (明治18) 年竣工の一連アーチ橋、国指定の重要文化財。
流域の南端、旧生野町は中央分水嶺を跨いでいる。生野町円山は円山川水系、生野鉱山は市川水系。
この水系を地質図で見るとけっこう複雑。玄武岩の玄武洞くらいしか知らなんだ。
以下も参照を