大正9年測量昭和2年鉄道補入参謀本部2万5千図「福知山西部」Stanford Digital Repository から一部、福知山市街の北部。
いたって牧歌的なのだけれど堤防がない。当時あった北丹鉄道は無茶だ。
由良川は幹川流路延長 146 km、流域面積 1,880 km2 の一級河川。
1972年台風20号、2004年台風23号などなど、たびたび大洪水により被害を受けている。
上流は河床勾配が急で渓谷や河岸段丘が発達、福知山盆地を流れる中流は川幅が広がり勾配もやや緩く、下流は勾配がさらに緩く穏やかな流れを形成して堤防も少ない。福知山周辺はときおり集中豪雨にみまわれる。福知山市荒河にある の海抜は 17 m、そばを流れる由良川の水面は 10 m に満たない。河口まで河床勾配が緩く狭隘なので滞留湛水しやすいのだろう。
源流は だが、この分水界には他に三国岳がふたつあり、さらに三国山もあるのでまぎらわしい。
は重要伝統的建造物群保存地区。 は風隙。 は線引きがむずかしく は河川争奪。 は本州の中央分水嶺最低点で標高約 95.4 m。 (たくらやま)は火山砕屑丘なのだそうだ。
明智光秀は福知山城から北西に向かって大堤防を築き由良川の河道を現在のように付け替えたとされ、細川忠興は河口に近い現在の舞鶴市和江地先で由良ヶ岳により狭く屈曲していた河道を開削したとされる*。後者については60年代画像で見ると中洲(古い地図では との表記)があるのだが、これの左岸側流路のことだろうか? 三角点 120.2 m の稜線が由良川に落ちている個所が切られているように見える。その少し下流にも古くは と呼ばれた洲があり、その形跡のまま2市の境界線が残る。
明治26年測図昭和2年鉄道補入陸地測量部・参謀本部5万図「舞鶴」から
流量を確保しスムースに流下させるため、あるいは舟運のため、これらの中洲を除去したのだろう。その経緯は郷土誌などを当たれば分かるだろうが、そこまでは深入りしない。
またシームレス画像と見比べると、この半世紀に中~下流で治水対策工事がずいぶん進んだことがうかがえる。樋門や揚水機が各所にあり、築堤盛土が行われている。
また由良川の源流域は京都大学の研究林が多くを占め森林軌道の遺構も残るのでソチラでも有名だろうと思う。木地師が居住していた記録もあるとのことで、地形図に注記はないがロクロ谷というのがある。
若狭との分水界にある五波峠、知井坂や堀越峠はいわゆる鯖街道に含まれる古道。
ストリートビューで見ると旧美山町の山村風景が美しいが冬季は積雪量が多いことだろう。中流にかけて環流丘陵が散見される。
一般的な治水の手段として引堤による河道拡幅、放水路の建設、堤防のかさ上げ、ダムや遊水池の建設などがあると思うが、由良川の場合は築堤と住宅かさ上げ以外の対策が難しく、全国でもっともリスクの高い流域のひとつではないかと思う。
これまで描いた分水界は「日本の主要な分水嶺分水界のマップ」にまとめてある。「アメダス一覧マップ」もあわせて参照を。
* 由良川水系河川整備計画(国交省近畿地整福知山河川国道事務所)
余談。
自然災害が地方で発生したとき、東京は淡泊な反応が多い。なかんずく民放の在京キー局は関心を寄せない、寄せようとしない傾向があるように思う。逆に東京都心がわずか数センチ積雪した程度で当事者として大騒ぎするものだから地方の人たちから鼻で嗤われる。
中央メディアの地方に対する思慮の欠落は、近年ひどくなっているように思う。
NHK のアナウンサーなどは渋谷神南の本局にいきなり勤務するようなことはなく、地方局勤務を経験させているが、こういう見識の涵養は大切なことだと私は思う。東京で生まれ育った人でも地方を見聞し体験し教養を身につけるほうが良いだろうし、それが欠けると井の中の蛙で視野狭窄に陥るだろうとも思う。東京の目線は標準じゃない、一地方のそれだ。