加古川は市川、夢前川、揖保川、千種川とともに播磨五川と総称されるそうだ。地図を一見しただけでその流域なり分水界を認識するのはむずかしい。
北は中央分水嶺をはさんで由良川水系、東は淀川水系と武庫川水系、西は円山川水系と市川水系に隣接。
国土交通省 によると幹川の流路延長は 96 km、流域面積は約 1,730 km² とのこと。源流から篠山川合流点までを上流部、美嚢川合流点までを中流部としている。下流部は少雨なので溜め池が多いうえ、宅地やゴルフ場の造成で線を引きがたい
河床勾配はおおむね緩慢、篠山川流域のほとんどを武庫川から争奪している。
武庫川の水系は細い線で示したが、その上流部にありながら、旧枳根荘村 (きねしょうむら) の天王地区は大阪府能勢町の北端に、旧後山村 (しつかわむら) は丹波篠山市の南端に位置する。丹波國と摂津國の境目なので、いきさつが複雑だったであろうことが想像できる。
なお 神戸市 によると、布引貯水池、烏原貯水池、千苅貯水池など自前の水源の量は、1日に必要な水量の約 20 % にすぎないようだ。残りの約 80 % は阪神水道企業団や兵庫県水道用水供給事業から購入しているとのこと。
加古川中流部には闘竜灘 (露) など露岩あり。
鐘ヶ坂隧道 (TN) は煉瓦積みトンネルとしては国内最古の1883 (明治16) 年竣工。土木遺産だが常時施錠され公開されていないらしい。
淡河疏水の御坂サイフォン橋 (水) も土木遺産、1891 (明治24) 年竣工。
篠山城周辺は城下町として、福住は宿場町また農村集落として、いずれも重要伝統的建造物群保存地区 (重) に指定されている。
人造の田松川の谷中分水界は、地形図では第二水門で流れを示す矢印が相反する。現実は第一の水門もあって、その間が川中分水界ということらしい。
明治26年測図昭和2年鉄道補入の内務省5万図「篠山」から一部、Stanford Digital Repository
むかし舟運いまは灌漑用水の田松川が描かれているが分水界はまったく読み取れない。
地理院地図の「自分で作る色別標高図」で見ても、データに瑕疵がありそう。
ここは線を引くこと自体がナンセンスかもしれないが、当時の味間村と古市村の境界をヒントにいちおう地図中には描いた。
この古い地図の左下に見内という集落がある。5年前に 丹波新聞が記事とした 伝承があるとされるところ。
ところで、自然の中へ入るとき土地の公私の区別がむずかしくなることはある。しかし自然はすべて公共財ではない。とくに中山間地域は私有地であることが圧倒的に多い。都会の感覚であれば塀や柵によって私有地の境界を認識できるが、田舎の山林や農地にそんなものは設置されていない。
目に見えないだけで実は境界線があり、それを越えたら不法侵入となる。日本中どこでも所有者にとっては「一所懸命」なので、田畑や山林を踏み荒らしてはならないと思う。私は努めて人の道と公道から外れないようにしている (たまに外れるが)
余談。土曜20日の朝、FMヨコハマの FUTURESCAPE を聴いていたら公教育の話になって、小山薫堂さんが次のように仰った
僕が総理になったら、まず小学校の先生の給料を上げたいです
良識ある人はそう考えますよね。公務員の待遇を上げなきゃダメだということくらい民間人の私にだって分かる。
官も民もそろって豊かになる考え方をしないといけない (キックバックを除く)
以下も参照を
加古川クリステル (いや、なんでもない)