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冠山・根尾周辺の古地図

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田舎に道路ができれば住民の生活は利便性を増し地域が活性化する、というふうに(一般論的には)考えられている。
しかし、人々はその新しい道を使って都会へ去ってゆく、というパラドックスも現実にはある。

旧帝国陸軍参謀本部の五万分の一地形図「冠山」と「根尾」、Stanford Digital Repository による画像の各々一部を合わせる。
いずれも「明治四十二年測圖昭和八年要部修正測圖」とされている。日本最大級のダムのひとつ、徳山ダム建設前。

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いま冠山の直下をトンネルが掘り進められている。現在の峠は山頂から見て北西にあるが、昔は東にあったようだ。また西には檜尾峠という古道が記載されている。

現在の地形図には、越山の南西と、能郷白山の北東に面する山腹斜面に多数の崩落地があり、土石流の発生源。砂利谷・大郷谷とその北西のふたつの谷が好例で、谷頭と渓岸に「がけ(土)」記号が連続、廊下状の横断形をもつ土石流谷なのだそうだ。

徳山ダム堰堤から見て北の白谷では1965年9月の台風で大規模崩落が発生、その湖水など一部が残存、ダム決壊地点が狭窄部となっている。そのすぐ下流には下刻防止のため砂防堰堤が施工されている。

つまり、この脆い地域をゆく道が「酷道157号」と揶揄されるのは、ある意味、当然のことといえようか。
国道417号の冠山峠道路が開通すれば、157号に替わる動脈となるだろうか。なお11月末時点で、1号トンネル(ダム湖畔からシタ谷、1239m)の掘削進捗は34.6%、2号トンネル(シタ谷から福井県池田町田代、4834m)掘削進捗は51.0%とのこと。

2008年に竣工した徳山ダムにいくつも(というより門入を除く徳山村のほぼすべて)の集落が水没したことが判る(70年代の航空写真を見れば、ヒン谷にまで集落や畑が見える)。また古い地図では扇谷の奥に「狂小屋」と「作六ツシ」いう集落の記載があり、大野の温見集落へ抜ける古道が記載されている。コレは気になる。
奥美濃は、廃村と限界集落が多いとみえる。

人がいなくなって養生されなくなれば山は荒れる。治山・治水にはコストがかかる。
しかしどこの自治体も財政的な余裕はない。
「平成の大合併」後、揖斐川町のように広大な山林を有するようになった自治体は、タイヘンだろう。

道路についてはコチラも。

参照:『建設技術者のための地形図読図入門』鈴木隆介著、古今書院、1997