長野県松本市、奈川渡ダム周辺。古い5万分の1地形図、旧内務省「乗鞍嶽」(大正元年測圖昭和5年部分修正同6年要部修正測圖)の一部
現在は半ばダム湖に沈んでいるため認識しにくいが、トバタ(「鳥羽田」または「砥畑」)崩れという深層崩壊の記録がある。1757年という古いもの。
この崩壊で梓川は閉塞し堰き止められ、天然ダムができた。これは現在のダム湖よりも水位がやや高かったようだ。
これが決壊し、下流の島々集落など土石流により大被害を受けた。
つまり東京電力が奈川渡・水殿・稲核の3ダムを1969年に完成させるはるか昔から、この谷に集落はなかった。またダム完成前の国道158号は、主に右岸を通っていたことがわかる(沢渡より上流はほとんど左岸だった)。
いま松本から上高地へ入るのは難儀しないが、昔は難所に続く難所だったのだろう。
梓川流域の主な災害としては、
マーカーで示した旧鎌倉街道の箇所は、湯川による河川争奪の跡だろうか?
参照:『歴史的大規模土砂災害地点を歩く』(いさぼうネット)