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信濃池田の地形など

公開日: 2026年4月26日

前の記事、青木峠 の西隣の図郭。明治43年測図昭和6年修正内務省5万図「信濃池田」MapWarper から。
この当時の篠ノ井線は旧線。また池田鉄道がある (安曇追分~北池田 6.9 km、1926 (大正15) 年開業、1938 (昭和13) 年廃止)

北アルプス山麓の神戸原や神明原の扇状地は大規模。燕岳から餓鬼岳にかけ花崗岩が支配的なので土砂供給も多いのだろう。
神戸原の背後、雨引山と唐沢山の間に断層鞍部がある。旧版地形図はこのふたつの山名が誤って記されている。

図郭の中に「日向」と「日影」の地名が散在する。『長野県における「日向」「日影」地名の立地傾向に関する研究』という論文もあるようだ。このツールで調べると全国で日向のほうが多く、日影はとくに中部に集中している。

現在では山間部が廃村だらけ、おもに昭和50年代に集落は再編統合された。小川村を調査対象とした「長野県における集落移転について」(木村和弘、1977、PDF) によると

過疎対策の一環として,集落移転が行なわれている。長野県の場合,集落移転事業は過疎法に基づいた事業と県単独の基準 (昭和47年制定) の2本立で行なわれ……
昭和35年頃から美麻村をはじめとする周辺の町村において挙家離村が頻発し……

過疎法、つまり昭和45 (1970) 年の「過疎地域対策緊急措置法」がトリガーとなったのだろう。これは長野県に限らない。しかもこの10年間の時限立法は名を変え内容を変え、今なお現存している。
こうした地方振興政策には常に微妙なものがある。多くは言うまい。

次は国土地理院のDEM1E、メッシュコード 543757

信濃池田DEM1E

大局的に俯瞰すると、この画像左端の南北に連なる大峰山地の (大町市相川の) 地すべり部分がズボッと東へ落ちているのが分かる。
生坂村にある犀川の河成段丘は少なくとも10段はあるのだろうと思う。
右下のケスタの模様も鮮明で、それと分かりやすい。
右上の聖高原に上がると、槍ヶ岳の穂先が見えるところがある。

地形が人の暮らしを左右するという典型なのかもしれない。長い時間軸で見渡せば、多くの示唆を含んでいる図郭よな、と思う。
フラットでインフラが充実したところに人が集まる傾向は、現代の経済の要請にも合致するのかもしれない。だが、それが幸福なことかどうかは分からない。

余談

今季もまたベイスターズは強いのか弱いのかよくわからん野球をやっている。寛容と受忍という人生訓のようだ。
プロ野球を楽しむコツは、エンタメだと割り切って観ることだ (悟りの境地)