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美祢線とカルスト地形など

公開日: 2026年5月3日

JR美祢線は2023年7月1日の大雨で橋梁が流失するなどして長期不通、廃止されBRTに転換される見込み。
古地図は明治30年測図昭和2年修正内務省地理調査所5万図「西市」MapWarper から。長門鉄道の廃止は1956年

美祢線はもともと大嶺炭田から産出される石炭を運ぶため大嶺駅から厚狭駅間が1905 (明治38) 年に開業したのが起源らしい。古地図では大嶺駅からさらに北へ「炭鉱用鉄道」も記載されている。
現在では代表的な石灰の生産地で、かつて美祢線は石灰石などの貨物輸送も多かったようだが旅客も少なく採算の見込みはないようだ。住友大阪セメントはベルトコンベヤーで仙崎港へ、宇部興産が専用道路で宇部港へ、それぞれ運搬している。

設計速度 80 km/h,最大縦断勾配 3 %,最小曲線半径 400 m という高規格道路が設計されたことになる。ほぼ同時期に開通した中国自動車道ではそれぞれ 80 km/h,5 %,300 m であり,勾配・曲線部の線形に関して宇部興産専用道路は中国道と同等以上の規格であるといえる (西島・岡田「宇部興産専用道路の規格に関する基礎的研究」土木史研究講演集 Vol. 38, 2018)

美祢線の東には地域高規格道路である小郡萩道路が、西には国道491号俵山・豊田道路が事業中。陰陽の往来はかたちを変える。

美祢線の東はカルスト (karst、地質図参照を) なので、美祢市秋芳町別府江原 (よわら) は流出する河川がない擂り鉢状のくぼ地 (ウバーレ uvala)。そのポノール (ponor) から吸い込まれた水は、白水の池 (ENE 2.5 km) などに湧き出ているらしい (山口県美祢市)。江原の周囲の台地にはドリーネ (doline) がポコポコある。ドリーネが集合したものがウバーレ、さらに輪廻したのがポリエ (polje) という理解で構わないようだ (産総研地質ニュース1972年4月号 (宮村「秋吉台を訪ねて」PDF))。なお残念ながら地理院のDEM1Aはまだカバーされていない。
秋芳洞は小学校の社会科見学で訪れ百枚皿を見た記憶があるが、どういうアクセスだったのかは当然ながら覚えてない。

なお西秋吉台では厚東川による厚狭川の争奪が進行しているというのも興味深いところ。洞窟内の水理と表層の水理はまた違うというのはおもしろい (藤井「西秋吉台の水文地質」1987, PDF)

古い地図に「仲哀天皇殯葬所」の注記があるが「ひんそうしょ」とは仮に納めておいたところらしい。宮内庁が認める仲哀天皇の陵は藤井寺市にある惠我長野西陵 (えがのながののにしのみささぎ) となっている。
「安徳天皇陵墓伝説地」の注記もある。宮内庁が認定するのは下関市の赤間神宮内だが山口新聞によると「安徳天皇と伝わる陵墓参考地は下関のほかに長崎、熊本、鳥取、高知の全国5カ所に存在する」とある。
宮内庁が認定するみささぎは、9年前に書いた記事「天皇陵の一覧マップ」に書き込んである。

余談

ナフサ不足でいろいろたいへんだが、資源のない日本でも石灰石が生産できることは幸いだ。おもな生産地は山口県のほか大分県や福岡県。鉄鋼用が最大の用途で全体の55%を占め、次いで化学工業用。建設用も重要な用途とのこと。しかし国内需要は縮小しているらしい。