約11万もの測量基準点が全国にあるが、そのうち最古(明治15年)の5点を巡回した。2年前に
を書いたが、遅ればせながら、これを辿ってみた。
1. 一等三角点「鳶尾山」
愛川町八菅山から(町道か林道かは知らないが)アプローチ、「やなみ峠」でアシ(PCX)を停め、鳶尾山頂まで歩く(8分ほど)
一等三角点「鳶尾山」の石標は、4つの妨衝石のみならずモルタルでも堅固にディフェンス
相模野(中津川と相模川)の段丘群と扇状地を一望できる。現在は桜が植樹され一部の視界を妨げる
2. 一等三角点「下溝村」(相模野基線北端)
東北東へ移動し、相模原市南区麻溝台4丁目。「あい薬局」が目印、説明板は文字が消えて読めない状態。
国土地理院による案内と「土木學會選奨土木遺産」銘鈑
その左に主役の一等三角点「下溝村」。妨衝石が3つ、役に立つのか? と思ってしまう(枕)
3. 基線中間点
南南東へ移動し、座間市相模が丘2丁目。マンホールに似てマンホールに非ず
この蓋の下に鎮座している(あえて開けなかった)。ここから25mほど南東「さがみの仲よし小道」に面して「土木學會選奨土木遺産」銘鈑がある。
4. 一等三角点「座間村」(相模野基線南端)
さらに南南東へ移動、座間市ひばりが丘1丁目。こちらの説明板はキレイ
鳥羽内科の私有地なので、外の市道から失礼。雑草の陰にヒッソリ佇んでいる
5. 一等三角点「長津田村」
東北東へ移動し、横浜市緑区長津田町。畑が迫り、背後に東工大の校舎があるためピンとこないが、高尾山の山頂である。明治の昔は、ここから基線両端や鳶尾山も充分に見えていたはずである。
飯縄神社の鳥居をくぐると左のベンチそばに目指す物件が
あろうことか、カドが欠けている(8年前はこんな損傷はなかった)。やはり妨衝石は必要だったのだ(落ち)
全国の三角点など測量基準点一覧マップ も参照を。
以上5点はバイクなら3時間ほどで巡回できる。
これらは、GPS 全盛の今となっては、もはや化石なのかも知れないが、この5つの化石が、こんにちの我が国の地図の礎となったことは疑いようがない。
ところで相模野基線(下溝村~座間村、上記マップ中の赤い線)について、明治35年の求直線測量では 5209.9696 m、大正13年の観測実測値は 5210.2125 m(関東大震災による地殻変動の影響といわれる)、そして2012年1月12日GNSS測量機で観測された結果は、5210.13mのようだ。
で、いま Google Maps API を使って計算すると 5221.9946 m を(地理院地図でも5.221 km を)算出してしまう。これがタイルの(技術的な)ズレなのか、他に理由があるのか、私には解らない。
明治15年の基線距離計測にあたり、第一中間点と第二中間点が設けられたが、これは現存していない(上記マップ中のAとBが推定の位置)。
また、古い地形図には「文部省測地學試験所」が記載されている。上記第二中間点の至近の位置で、通称「六十間長屋」(現在の相模台2丁目、上記マップ中のZ)。相模野基線の付属施設として1902(明治35)年、基線の精度を上げるため100mの軌条と標石をもつ東西110メートルの茅葺き小屋だったという。1928(昭和3)年頃まで存在していたらしい。
長くその所在が不明となっていたが昭和54年宅地造成中に標石が発見され、現在はその宅地敷地内に案内板が建てられているとのこと。
参照:一等三角点とは、「麻溝台地区の昔々」No.5 | 相模台地区自治会連合会