描かれた LineString の距離を Turf で算出する例の続き、鉄道路線の場合。
さきに マップに描画した線の距離を算出する例 で高速道路を使ったが、要領は同じ。起点駅ないし終点駅のどこにキロポストがあるかは各駅で見ないと分からないので、道路と同様に各社が公にしている営業キロと若干の差異は出るが、メモがわりにアップしておく。
JRはグリーン (運転系統ではない)、その他はブルーで示した。各線をタップないしクリック
地理院タイルをトレースしたデータだが、元国鉄から第三セクターなどで民営化した路線ではトンネルの描画が誤っている可能性もある (理由は「地形図の更新とトンネル」参照を)。リニアなど建設中のものは精緻なものではない。データは 全国鉄道路線図 から。
田園都市線が 31.42 km と出ると、意外に短い気がした (感覚と乖離がある)。また山陰本線より東北新幹線のほうが長いのだなぁ
上の写真は昨日の田園都市線。
むかし中国の成都から昆明まで 1,000 km を超える成昆鉄道に乗ったら、推定乗車率700% (当社調べ) のスシ詰め人民地獄に堕ちたことがある (しかも24時間) (春節に移動した俺が悪い)
若いうちは言動にしろ行動にしろ軽率な失態を犯すものだが、歳月を経てなおその恥ずかしい記憶が残像と共に不意に甦ることがある。
吉行淳之介のエッセイ『紳士はロクロ首たるべし』に次の記述がある
傷が痛みはじめるときの反応は、各人各様で、たとえば作家の牧野信一は、その状況を、
「きゃっと叫んでロクロ首になる」
と、表現し、たしか広津和郎氏だったとおもうが、
「バカバカバカ、と小声で自分を罵る」
ということになる。
人生は恥の積み重ねであると思う。しかし恥を重ねたら紳士になれるかというと、決してそうでもない。
私は自身を紳士だとはとても言えない下品な中年だが、若い人の過ちに対しては寛容でありたいと思う。
幼いころ、今は亡き祖父から「ウサギは高い方へ逃げる」という教えを受けた。
しかしその教えは今に至るまで私の人生の役には立っていない。そういった無益な智慧や教訓、人生訓は数多い。
むしろ、それこそが人生訓なのかもしれない (哲学的な帰納の概念)
いっぽうで、a priori に「ダメなものはダメ」と言いにくい世の中になっているのでないか。