WBC ワールドベースボールクラシックが佳境に入る。
野球というスポーツはファンも多く楽しいものだが、ルールが難解であることは否めない。
知っておくとお得な、しかしあまり知られていないルールのひとつに、オーディナリーエフォートがある。
公認野球規則では、定義2.54で
2.54 ORDINARY EFFORT「オーディナリーエフォート」 (普通の守備行為)
――天候やグラウンドの状態を考慮に入れ、あるプレイに対して、各リーグの各守備位置で平均的技量を持つ野手の行なう守備行為をいう。
【原注】この用語は、規則2.40のほか記録に関する規則でたびたび用いられる、個々の野手に対する客観的基準である。言い換えれば、ある野手が、その野手自身の最善のプレイを行なったとしても、そのリーグの同一守備位置の野手の平均的技量に照らして劣ったものであれば、記録員はその野手に失策を記録する。
と書かれている。なお原文である MLB の OFFICIAL BASEBALL RULES 2022 Edition には Definitions of Terms で
ORDINARY EFFORT is the effort that a fielder of average skill at a position in that league or classification of leagues should exhibit on a play, with due consideration given to the condition of the field and weather conditions.
と記述されている。
たとえば「ふだんの源田ならアウトにできたはずだからエラーだ」とか「グラブに触れなかったからヒットだ」といった主観的な判断は誤りで、公式記録員がこの Ordinary Effort という客観的基準に従って H か E を点灯させる。高校野球を見て「今のがエラーじゃなくてヒットなの?」という感想をもったことがある方は少なくないだろうが、つまりプロとアマではこの「客観的基準」が大きく異なる。また同じアマでも、高校野球と少年野球では「平均的技量」に雲泥の差があるのは当たりまえ。
また規則 2.40 とはインフィールドフライを指すのだが、次のように定義されている。下線は私が引いた
2.40 INFIELD FLY「インフィールドフライ」
――0アウトまたは1アウトで、走者が一・二塁、一・二・三塁にあるとき、打者が打った飛球(ライナーおよびバントを企てて飛球となったものを除く)で、内野手が普通の守備行為をすれば、捕球できるものをいう
An INFIELD FLY is a fair fly ball (not including a line drive nor an attempted bunt) which can be caught by an infielder with ordinary effort, when first and second, or first, second and third bases are occupied...
このルールを理解するためには、先に 2.54 Ordinary Effort を読んでおかないと誤解するおそれが高い。しかしこの「普通の守備行為」という日本語訳が凡庸すぎる言葉なので、見落としやすい。
アマチュアでも審判の講習を受けたことがある人ならば「インフィールドフライの宣告はどういうタイミングで出すか」というのを教わるはずだが、たいてい「捕球体勢に入ったら」などと説明されるだろう。私も最初はそう教わった。
審判の世界には「規則」とは別に「運用」という概念がある。捕球体勢というのはその運用の目安のひとつに過ぎず適用要件ではない。そもそも「捕球体勢」などという言葉は公認野球規則に出てこないし、何をもって捕球体勢と見るか拡大解釈を許しかねない。だから私は教える立場になったとき「普通の守備行為=捕球体勢」という誤解を避けるため、この言葉を使わなかった。
審判員は、打球が明らかにインフィールドフライになると判断した場合には、走者が次の行動を容易にとれるように、ただちに "インフィールドフライ" を宣告しなければならない......
When it seems apparent that a batted ball will be an Infield Fly, the umpire shall immediately declare "Infield Fly" for the benefit of the runners.
「ただちに」(immediately) という副詞には、急を要するニュアンスがある。走者のベネフィットのためには遅いより早いほうが良いわけだから、捕球体勢など待ってる場合じゃない。
かつて巨人の原監督が「宣告は捕球体勢に入ってからだろ!」と審判団に文句を言ったことがあったが、それもこの勘違いに起因する。
メジャーでもこのルールを知らない選手はざらなので、まれに悲劇や喜劇が起きる (審判員の一人でも宙を指し宣告したらインフィールドフライは有効、仮に野手が落球しても打者はアウトで塁上の走者はフォースの状態が解除される=フォースプレイはありえない)。
プロは平均的技量が高いので、審判はインフィールドフライを宣告しやすいはず (強風下の ZOZOマリンやハマスタを除く)。少年野球は平均的技量が低いので、ポテンと落ちる可能性が高い。
高校野球の審判の中には、少年野球をレベルの下位にあるとみなし上から目線で説教したがる人物もある。しかし実際は逆だ。高校野球ともなれば選手には野球の文法が身について一定の共通理解と予定調和がありキレイな野球をするが、小学生はそれらを学んでいる途上にあり未熟だから、時に (大人から見れば) 奇想天外のプレイもする。だから審判にとっては、むしろ難しい。
私はもう引退したが、審判は精神的にも体力的にも負荷が大きい。
以上のルールを知らなくても野球は楽しめるが、知っておけば面白味も増す (ウンチクとして開陳したら野暮だが)。今回の WBC には NPB から有隅審判員が派遣されているが、国際大会は審判のお国柄も現れる。
※審判の講習や練習は、規則よりも所作やメカニクスに重点が置かれる。私が走者の役でイヤガラセしたら、プロ野球の某審判員さんから「いやらし~っ」と言われたことがある (そのとおりだ)。
この Ordinary Effort という概念は野球に限らず職業や職種でも敷衍できると思う。上位は下位互換が可能かという点も。たとえば初等教育が高等教育より容易なのかというと、それは違うだろう。むしろ初等教育のほうが難しいのではないか。文科省の官僚や大学教員に小学校の教師が務まるのかというと、かなり厳しいのではないか?
ひとそれぞれに、それぞれの仕事に Ordinary Effort があるはず。餅は餅屋、という喩えを無視してやたら互換を試みる政策や施策が増えているのはオカシイ。そもそも上位か下位かなどという考え方がオカシイ場合も多いのだが、ひとは上位に立ってマウントをとりたがる。
ついでに「野球場の方角」もどうぞ。これも知っておくと、お得です。