温泉は泉源が至近にあるものが圧倒的に多いと思うが、離れたところから導管で引っ張ってきているところも少なくない。むかし白馬鑓温泉をふもとの細野集落へ引湯しようとして雪崩による遭難事故が起きたりしたが、需要があれば供給したいと考えるのは当然だろう。
しかし実際どのように引湯されるのか、私は知らなかった。
「乗鞍温泉引湯工事の紹介」(浜田亀太郎、『温泉科学』第40巻第4号、1990)*という論文があった。
乗鞍の源泉は白骨温泉を流れる湯川の上流だということは聞いていたが、その機構を初めて知った
泉質は酸性硫化水素泉で pH は 3.0、49.0°C とある。
産総研の 地熱情報データ によると、白骨温泉は泡の湯で pH 6.6、湯元1号で 6.3 など、同じ川筋とはいえ pH 値はさほど小さくない
湯川源泉は強酸性泉として知られている.この温泉を,数キロメートル離れた乗鞍高原まで引湯する工事は,昭和47年安曇村の長期振興計画に組込まれた重要課題の一つであった
昭和50 (1975) 年8月着工、昭和52 (1977) 年8月完成とのこと。以下の図と写真は同論文から引用
酸性ゆえ「金属管では使用に耐えないことは従来の実績からも明かである」という理由と、源泉温度が決して高くないため「出来る限り熱損失を少なく」したいとの理由から、熱硬化性のポリエステル樹脂管を選定し、付帯する資材はすべて耐蝕性のものを選んだとある
管の直径は徐々に小さくするのだなぁ (ヘーゼン・ウィリアムスの式というらしい)
引湯ルートは全線自然流下するよう保ち,引湯管,集湯槽,減圧中継槽等の施設はすべて地下埋設とした
源泉の集湯槽から No.1 減圧槽まで自然勾配は平均で約 1.55 %、次いで No.2 減圧槽までは 4.25 % ということになる。下水道のようなパーミル単位の繊細な勾配ではなく、おそらく等高線に沿って徐々に下げているのだろう。No.2 以後は平均 37 % で急降下することになる。
ポンプを使用しないで済むなら、それにこしたことはない。
地下埋設なので航空画像で認識することはできないが、70年代画像に一部の工事の痕跡らしきが写っている。「資材の搬入は索道を架設した」ともあるが、県道84号の標高 2,000 m 付近から北東の尾根に向けて直線的に伐採された箇所 (青の Polyline) ではなかろうか?
多量の硫化水素を含んだ温泉が源泉集湯槽へ流入する.この温泉水が空気に接触した場合硫黄質沈殿物を生じ輸送管の障害となることは明かである...
この源泉地は標高 2,000 m,冬季の積雪は 6 m ~ 8 m に達し自然条件からも湯畑と称せられるような硫化水素の揮散設備を設けることは困難である.また,No. 208 (笹窪峠) 以高の施設については積雪期の保守管理は不可能に近い.それ故源泉集湯槽 (測点 No. 0) ~ No. 208 (笹窪峠) 間は温泉水と空気の接触を遮断し輸送を行ない,No. 208 ~ No. 238 (No.7 分湯槽) 間に設けられた 6 カ所の中継槽において硫化水素の揮散除去を行なう方式を選定した
毎分 1,700 リットルもの湯が供給されているとのこと。注意点として
温泉供給側では硫化水素の除去に対応しながら運営を行なっているが,浴槽への硫化水素の流入は皆無ではない.利用側では保健所,温泉供給公社の指導により換気扇,換気孔の設置に留意し利用を行なっている
とくに火山性の温泉が析出物にさいなまれるのはどこも同じだろうと思う
*URL: http://www.j-hss.org/journal/back_number/vol40_pdf/vol40no4_149_161.pdf
かつてOさんが鈴蘭で経営されていた宿でこの湯をいただいたことがあるが、とても佳い湯だったことを憶えている。
湯川源泉は温泉組合管理地なので立入禁止。たとえ夏季でも、たとえ好事家でも、行くべきでない。
なお2002年から2004年にかけて源泉から No.2 減圧槽までの区間に予備引湯管が新設されたようだ。
またボーリングにより1996年にすずらん温泉、2003年に休暇村乗鞍の安曇乗鞍温泉も誕生したようだが、温泉はインバウンドとの相性は決して良くないのではなかろうか?
乗鞍には信大の宿泊施設もあり、学生のとき無料で泊まってスキーに興じたこともあった (当時は安曇村)。だがスキー・スノーボード人口はピーク時 (93年) の4分の1まで減少し、スキー場の淘汰も進んでいるようだ。乗鞍も状況は厳しいだろう。
番所の「そば処 中之屋」が美味しくて、おかわりしたことがある。その番所は「ばんどころ」と記載されるケースが多いが地元の方々は「ばんどこ」と呼んでいたように記憶している。公称と地元の慣用呼称が異なることは、めずらしくないように思う。
県道84号乗鞍岳線の前川渡大橋から大野川隧道は奈川渡ダム建設に伴う付け替えで1969年までに完成 (次は大正元年測図昭和6年要部修正内務省5万図「乗鞍岳」Stanford Digital Repository から一部、ダム建設よりかなり前)
国道158号の旧道は現在と異なり奈川渡から沢渡まで梓川の右岸。番所溶岩の先端はうまいこと梓川まで届いてない。
鎌倉街道に神祠峠という集落が旧奈川村ではなく旧安曇村にあったのだな。神祠峠から檜峠には境峠断層が走っている (神祠峠のすぐ西を北流する沢はその作用かな?)。
鈴蘭の大樋銀山は明治24 (1891) 年に廃鉱となったらしい。
なお町村の境でも幅 1 メートル未満の小径でもない長めの破線が描かれているが、これは官有地の境界線。
乗鞍は2011年8月に訪れたあと行ってない。もう行く機会はないと思う (行きたいと考えているのは山形、富山、奥静)。
あわせて「上高地に至る国道158号の件」もどうぞ。
八潮市の道路陥没は下水道というライフラインの重要性に図らずも日を当てた。橋梁や道路ほどには目立たないが土木 (Civil Engineering) がいかに社会を支えているかを再認識させたのではなかろうか?
ひとむかし前、公共事業を十把ひとからげに白眼視し縮減した風潮と政策が一部にあったことも遠因のひとつだと私は思う。
建設コンサル技術者でいま下水道の設計を担当している息子氏いわく「予算増額」