宮崎と鹿児島の境

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公開日:2020-07-08 更新日:2020-07-08

肥薩線は廃止されるかも? などと思いつつ古い地形図「大口」参謀本部5万分の1(明治34年測図昭和10年修正)を眺めていたら、あれ? と驚いた。

古い地形図「大口」の一部

現在、宮崎県えびの市と鹿児島県湧水町の境界は肥薩線の線路付近から黒園山付近にかけて未定となっているのに、この古い地図では「府縣」境界が描かれ、そして吉松村と菱刈村の境界が「國」境界の破線になっていた。

明治期の凡例

単に誤記なのか、ヒムカの国とサツマの国の関係や経緯に理由があるのか、よく分からない。

旧吉松町は、廃藩置県で1871(明治4)年7月には鹿児島県に属していたが、同年11月に鹿児島県から都城県に属し、さらにその2年後には再び鹿児島県に編入されたと Wiki には書いてある。岐阜の石徹白みたいな、微妙な立ち位置。
東隣の地形図「加久藤」を見ると、こちらはこちらで宮崎(西諸縣)と熊本(球磨)の境界線が(分水界や河川の流路は明快なのに)ブツブツと切れている(ここでは載せてない)。この時代ならではの、この地域ならではの理由があったのだろう。

また九州でも有数の大河で水害が頻発してきた川内川は、菱刈から曽木にかけ人工的に河道が変えられている(薩摩は治水の古豪)。これは70年代画像で痕跡が見られる(関係ないが「曽木の滝」はナイアガラというより南米イグアスの滝を超コンパクトにした感じがする)。

なお上記地形図は1935(昭和10)年修正だが、国鉄の山野線が全線開通したのは1937(昭和12)年、廃止は1988(昭和63)年。70年代画像で水俣大川のループ線跡が見られる。
肥薩線はカルデラの縁によくもまあ敷設したものだ、という感じがする。吉松駅から矢岳トンネルまで 250m も登っている。
矢岳トンネル(明治42年竣工)は、含水量の多い凝灰岩からの激しい湧水に見舞われながら当時最大の難所を克服したということで土木遺産(参照: 肥薩線矢嶽隧道|鹿島建設)。
また1972(昭和47)年7月6日、集中豪雨により真幸駅の裏山が崩落、死者4名の惨事。駅を埋め、重さ約8トンの巨石がそのままホームに残されているとのこと。この痕跡も70年代画像で見られる。

九州南部の古地図を眺めて気づくのは、地名に「~つる(水流、鶴または津留)」や「~はえ(八重)」とか「宇都」の付くところが、やたら多い。とても多い。さっきもあったやん! とか混乱しがち。
また平成の大合併で「宮之城」や「伊集院」など由緒ある名前が自治体名から消え「ドコに行った?」と戸惑うことも、ままある。