熊本県の球磨川流域で大水害が起こった。
人吉の盆地は球磨川左岸が扇状地のため営農に苦労した歴史があるということを、以前「疏水」を記事にしたときに覚えた。
1700年代初頭、幸野溝と百太郎溝という用水が作られ「疏水百選」や「世界灌漑施設遺産」に選定されている。
この地域にとって、水が食糧生産に大きく貢献してきたことは疑いがない。
いっぽう、盆地の出口で川は球磨村に入ると狭窄され、大雨の場合に排水が追い付かない。
長野県立ケ花の千曲川、大分県日田市夜明の筑後川や山形県小国町の荒川と同じように、求心状水系をもつ盆地ならではの内水氾濫に弱い地形。人吉は、過去にもたびたび洪水に悩まされてきたらしい。
球磨川の右支に川辺川がある。ここでは「川辺川ダム」建設の是非について、八ッ場ダムとならんで時代と政治に翻弄され長年にわたりケンケンガクガクされてきた歴史がある。地元の方々にとって、そうとうな労苦があったであろう問題(その是非について私は意見を持たないし、熊本県民でもないので何かを言う資格もない)。
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(建設中止)
人吉の人々の中には、水を渇望してきた伝統的な記憶と、水に襲われてきた歴史的な記憶と、共に脈々とあるのではなかろうか?
「利水」と「治水」の並立という困難、ないしジレンマがあるのではないか、と考えるのは、よそ者の憶測に過ぎないかなあ?
「避難所のありかた」というポイントで人吉は注目を浴びるだろうけれど、個人的には「環境と治水のありかた」というポイントでも注視したいところ。
ところで上記の地図を見て、気がつく人は「おや?」と思うだろう。
明治35年測図昭和10年部分修正参謀本部「人吉」Stanford Digital Repository の一部を見ると
さほど大きな変化は見受けられない。