大正時代の鎌倉

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公開日:2020-02-18 更新日:2020-07-23

鎌倉市は昭和14年11月、当時の鎌倉町と腰越町が合併し誕生。鎌倉町の人口は昭和12年で29,400人だったとのこと。
大正10年測図2万5千分の1「鎌倉」の一部。呆気ないほど情報量が少ない。

鎌倉御用邸は大正12年の関東大震災により全半壊、昭和6年に廃止。現在は御成小学校。
よくよく見ると、江之島電氣鉄道の終点だった鎌倉駅(旧称・小町駅)は現在の若宮大路「鎌倉駅入口」交差点付近にあったらしい。
漫画家の横山隆一は、嫌いな雷が少ないという理由で鎌倉に住みついた。ほかに著名な作家や、音楽評論家の吉田秀和、俳優の笠智衆など文化人が多く住んでいた。今も逗子の小坪あたりは有名人の別荘だらけ。
個人的には、ほとんど近寄らない。

余談、今日も元気だ
【呑み助の常套句】「アルコール消毒してるから」←#MeToo

私の世代は「働かざる者食うべからず」とか「額に汗して働くことは尊いことだ」といった労働モラル(あるいは規範意識)の中で育った。キリギリスよりもアリであることを善しとするコモンセンスが、高度成長期の社会にはピッタリ合致したものと思う。
現在ブラックと呼ばれる会社や経営者は、この前近代的な「アリであれ」という意識を逆手に取って悪用しているフシもあると思う。
また20年くらい前、環境マネジメント云々・持続可能な云々などという ISO が跋扈したが、これをコスト削減などの口実に恣意的に用いた経営者は多かったと思う。環境には優しくなったのかも知れないが、人には厳しくなっていった。
昭和チックな思考のまま停止している60代から70代の一部の人々が「老害」呼ばわりされているのを見ると、反面教師としなければいけないと思う。