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大正時代の鎌倉の地図

公開日: 2020年2月18日

鎌倉市は昭和14年11月、当時の鎌倉町と腰越町が合併し誕生。鎌倉町の人口は昭和12年で29,400人だったとのこと。
大正10年測図2万5千分の1「鎌倉」Stanford Digital Repository の一部。呆気ないほど情報量が少ない。

大正10年測図2万5千分の1「鎌倉」

POI は大正12年の関東大震災により全半壊、昭和6年に廃止。現在は御成小学校。

よくよく見ると、江之島電氣鉄道の終点だった鎌倉駅(旧称・小町駅)は現在の若宮大路「鎌倉駅入口」交差点付近にあったらしい。
漫画家の横山隆一は、嫌いな雷が少ないという理由で鎌倉に住みついた。ほかに著名な作家や、音楽評論家の吉田秀和、俳優の笠智衆など文化人が多く住んでいた。今も逗子の小坪あたりは有名人の別荘だらけ。
個人的には、ほとんど近寄らない。

※2024年11月「鎌倉市の江ノ電とトンネルと地層」を書きました。