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釜石線建設の歴史について

公開日: 2020年12月11日

JR東日本の釜石線は、

この両線の間の難所、足ヶ瀬~陸中大橋間が1950(昭和25)年に開業、軌間を1067mmに改め結ばれたもの。

鉄道建設の難所

『土木學會誌』第三十六巻第四号(1951(昭和26)年4月発行)に「釜石線建設について」という報文(丹羽良彦、国鉄盛岡工事事務所長)があり、戦後まもないころの労苦が描かれている。

釜石線を著しく困難なものとしたのは既設仙人峠駅(実は麓に当る)と大橋間の特異な地形である。この区間は北上山脈を一気に横断する部分であるが,直線距離僅かに4kmに対し高低差は実に300mに達する

参謀本部大正2年測図昭和8年修正5万分の1地形図「遠野」の一部、岩手県釜石市と遠野市と住田町にまたがるところを被せる。釜石線開通よりずっと前のもの(Stanford Digital Repository)。

5万分の1地形図「遠野」の一部

POI に索道が描かれている。

橋梁は14、うち POI だけはトラス型式。

長さ107m,深さ50mの谷を渡るもので,両側に19.2mの鈑桁を,中央に77.5mの上路構桁を架けている......費用は桁代その他凡てを合せて約2千万円であつた

戦後ゆえ金もなかったらしい。

偶々当時国鉄の経営合理化運動の勃興期で,且つ戦後最初にして唯一の建設線であつたから,各方面から色々と新しい企画が提案され,議論せられた

工区に分け間組、鹿島や西松建設といった各社が請け負った。

工事中常に吾々の念頭を去らなかつたのは,工期を確実に守るという責任感と,戦争で荒れた技術を再び取戻そうという技術人の魂であつた

白眉はΩ形の第2大橋隧道だろうか。

第2大橋隧道は勾配23‰,カーブは250m及び300mの複曲線で,排煙状況が不良であるからサッカルト式排煙装置を設置して安全を期した

なお隧道の描画は長らく誤ったままだった。国土地理院地形図の第2大橋隧道Ω部分などが改描されたのは、開業から70年後の今年2020年4月のことだ(こちらを参照)。

2019年3月に釜石自動車道が全通したことで、鉄道のプレゼンスは相対的に下がる。現在、釜石線のこの難所区間は上下線とも1日に10本に満たない運行のようだ。